<前回(昨日)の概要>
友人R宅にお世話になりつつ、テオフィリンという薬の過剰摂取で体調を崩して吐いたりと色々あったものの、2日間に及ぶ大検本試験を何とか乗り越えた私であった。

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ウェブ同窓会「この指とまれ!」(http://www.yubitoma.or.jp/)というサイトがある。

略して、「ゆびとま」。実は先日このゆびとまで、偶然中学時代の同窓生と再会したのだ。
彼(仮にMとしておこう)は現在札幌に住んでいるという。そして私が泊めて貰っているR宅も札幌。試験が終わったら遊ぼうという話を、事前にネット上で取り交わしていた。

当初は飲みに行く予定だった。が、何せまたいつゲロの神が降臨してもおかしくないような体調の私である。そして、昨晩もうっかりカラオケで少し飲んでしまったのだ。
このまままた飲むと危なそうなので、昨晩からMに電話を入れておき、予定を変更してM宅に押し掛けると宣告しておいた。Mは戸惑っていたが、何とか私が着くまでに部屋を片付けたりしてくれていたようだ。

半年ほど札幌で一人暮らしをしていた事もあって、移動も比較的スムーズな私だ。予定していた時間よりも早目に着いた。
3.5年振りに再会した我々の話のネタは尽きる事を知らなかった。まだ語り足りない感はあったが、Rと再び落ち合って少し話をしてから帰路に着く予定だったので、夕方過ぎにはM宅を後にした。

ところがこの後、Rに対して我ながら大変申し訳無い事をしてしまった。

メールの内容から、Rがまだ遠くに居ると判断した私は、少し時間に余裕があると見越して、大好きな店で買い物をしていた。ついつい夢中になり、Rからの「着いた」というメールにも気付かずにいた。ようやく2回目のメールに気付き、慌ててRに電話をする。謝って、すぐそちらへ向かうと告げる。

店を出るが、待ち合わせ場所のドトールコーヒーが何とも紛らわしい場所に2店あり、初めに着いた方の店内を見回してもRの姿は無い。
もう1店へと向かうが、てっきり地上かと思っていたのが地下だったり、私自身何度もその店の前を通った事があるのに、Rの言う位置とは微妙に食い違っているような気がしたりして、なかなか辿り着けない。
そんなこんなで、Rの終バスの時間の都合もあり、貸していた鏡と櫛は着払いで良いので後で送ってくれとだけ言って、Rは帰ってしまった。

…怒らせてしまった。迷惑を掛けてしまった。
 しかも私のエゴの所為で。

 「しんじゃえよ。しんじゃえよ」
 「お前みたいな奴は誰からも嫌われて終わりだよ」

軽い自殺念慮が出て来た。
Rに悪い事をしてしまったという罪悪感は勿論のこと、自宅を離れて心身共に沢山活動した疲労が早くも表れ始めたのかも知れない。

心も身体も沢山使って、沢山楽しんだ後には、「鬱」という別名を伴った疲労がそこに待ち受けている場合があるのだ。


帰りのバスの中で抗鬱剤と抗不安剤、そして1日分の処方量の睡眠薬を飲んだ。
眠るつもりは無かったし、眠れるとも思わなかった。ただ、落ち着きたいと思ったのだ。そして、Rに迷惑を掛けてしまったのにこうして罪悪感の呪縛から逃れようとしている自分がたまらなく嫌だった。

着くまで、ずっと中村一義をウォークマンで聞いていた。
中村一義に救いを求める自分もどうしようもなく嫌だった。が、この時私は、

自己嫌悪から来る自殺念慮など→それらから解き放たれて楽になりたいという気持ち→そんな気持ちを持つ事自体がエゴの塊であるという思念→始めに戻る

という無限ループの間を彷徨っていた。
その結果、楽になりたいという誘惑に気持ちがやや傾いてしまったのだ。


発売したばかりでまだ聞き込んでいない、中村一義のニューマキシシングル『新世界』。
「きらきらひかるものが溢れ出す場所、「心」。」
このくだりを聞いて、少し前向きな気分になれた。

「知らないだろう、あの人は。神の意を弾に込めるあまり。」
ここは中村一義自身が雑誌のインタビューで、テロ事件を隠喩したものであると語っていた。
でも、なぜこの歌で?
本当に真意はそれだけ?

もしかして、
私も神の意を弾に込めようとしている一人ですか?

自己の内面に於いて作り上げた偶像の神の意を弾に込めて、それを私自身に向けて突き付けられた銃口から発射しようとしている一人ですか?


帰りはJRでなくバスにして良かったと思った。
心の中の堆積物にある程度整理をつけるには、JRより時間の掛かる長距離バスの方が適している。

バスから降りて迎えを待つ間、話し掛けて来たナンパのオッサンをからかったり、駅前の路上ミュージシャンの歌を聞いたり、その人達と一緒に中村一義の「ジュビリー」を歌ったりした。


「ジュビーリー♪ジュビーリー♪オーォージュビーリー♪」

ぇ?あ、もうお迎えですか?

はーい。帰ります帰ります。

自分が嫌いなままの私で。

でも、神の意は弾に込めぬように、ね。
<前回(昨日)の概要>
大検受験の為、友人Rの家に泊めて貰っていた私だったが、一夜漬け状態の身体を持たすべく、覚醒作用のある薬・テオフィリンを過剰摂取し、逆に体調を壊し、試験終了後Rの家で吐いた。

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大検本試験も残すところあと1科目、地学のみを受ければ晴れて終了だ。今日がその地学の試験日である。


目覚めたのは午前4時過ぎだった。これから本格的な地学の試験勉強に着手するところだ。
本当なら前日に勉強を済ませて早寝するか、もっと早起きして猛勉強しなければならないところだが、何せ昨日から続く劣悪な体調である。試験中に吐いたり意識を失ったりしては元も子もないと考え、身体のご機嫌を優先させる事にして、なるべく眠っておく事にしたのだ。

全身グッショリと汗を掻いていた。それでなくても昨日の猛暑(と、冷房設備のない会場)の所為で身体がベトベトして気持ち悪かった。昨日はあまりにも体調が悪かった為、シャワーを浴びるのを断念していたのだ。

今日も今日で、やはり頭は痛むし、ぼんやりするし、吐き気はするし、頻脈は相変わらずで、少し動く度に動悸が増して意識が朦朧とするし、昨日に比べて格段に回復したとは言い難い。

それでシャワーを浴びてパジャマを洗濯しておかないで不潔なままでいると、自宅や布団やパジャマを提供してくれたRに悪い。それに自分自身、さっとでも身体を流さないと我慢ならない程の不快感があった。


そんな訳で、重い身体を引きずりつつシャワーを浴びる。顔、髪、身体と一通り洗って浴室を出ると、

………き…もちわるいきもちわるいきもちわるい!

あまりにも唐突な、「ゲロ神降臨」の啓示であった。
タオルを巻いた状態のまま、猛ダッシュでトイレに向かう。

【---「ゲロ神」降臨中につき、詳述を自粛する---】

何とか間に合った。
やはりシャワーを浴びて心拍数や体温が変動したのがいけなかったのか。でも、気分は少し楽になった感がある。

昨晩に2回、今朝1回にわたって降臨した「ゲロ神」は、これを境にもう私へと降り立つ事はなかった。

ありがたい「お言葉」を残すでもなく。

神の真意とは、いつの時代も凡人には理解し得ぬものだ。
ひょっとしたら、真意なんて崇高なもの自体無いような気さえするのは私だけだろうか。


で、何とか落ち着いたところで勉強開始である。
昨日も不思議に感じたのだが、一旦勉強に集中してしまえば、一連の体調不良はさほど気にならなくなるのだ。意外に快調なペースで、予定していた勉強スケジュールをこなす。おおよそ片付けた頃にはRも起きていて、「いくら体調が悪くても何も食べないよりはマシだろう」と、二人で焼きそばを食べたりした。

試験開始時刻は午後3時。まだまだたっぷりと余裕がある。おかげで暗記や見直しに時間を費やす事が出来た。それでもまだまだ余裕があったので、Rが見ていた「いいとも」を一緒に見てしまったりした。

さて、地学?A本試験である。
これは、いける。独特の共通問題+選択問題方式にも演習で慣れていたし、選択問題のおかげで自信のある分野中心に解答する事が出来た。

試験を終えて会場を出ると、真っ先に彼氏に電話した。
ずっと彼氏の声を聞きたかったのだが、試験終了までは自分に鞭を打って、電話等を控えていたのだ。

R宅に戻り、終わった終わったと騒ぐ。
先日から、私の試験が終わったらカラオケに行こうと話していたので早速行こうという事になった。が、その前にRがサークルのミーティングに顔を出さなければならないとの事なので、私も同行する事になった。

某大学図書館。なんでもiアプリやゲームを作るオタッキーな雰囲気のサークルだそうだ。iアプリはJAVAベースだし、ゲーム製作にも各種プログラミング言語の習得が必要となる。私はそれらプログラミング言語を習得する事には興味があるが、ゲームから縁遠い人生を送って来たので、ゲーマーさん達が熱く語り合う雰囲気にどうも着いて行けない。Rは私よりゲーム好きな方だが、後で聞いてみたところ、やはりこのサークルに対する根本的な考えは私と大差無いとの事だった。
ミーティング中、Rがメールを打つふりをして何やら携帯に文章を打ち込み、こっそり私だけに見せてくる。
画面には、
「つまらんなw」
「今日は特にひどい」
「すまんのぅ。あと20分位我慢してくれ」
「これ一回りして一段落着いたら出よう」
などの文字列が。おまけに当のRは終始涼しい顔をしているものだから、私は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

何とか脱出して、Rとカラオケへ。まだ体調が良いとは言い切れなかった私はアルコールを避けようと思っていたのだが、ついつい少し飲んでしまった。

まぁ、試験終了の打ち上げだったという事にしておこう。
<前回(昨日)の概要>
大検受験の為に泊めて貰っている友人Rの家で、覚醒作用のあるテオフィリンという薬を飲んでほぼ一夜漬け状態で勉強した私は眠る事も出来ず、そのまま朝を迎えた。

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今日からいよいよ本試験である。
本日の私の受験日程は、

国語→(昼休み約1時間)→現代社会→家庭科→(次の地理までの時間待ち約3時間)→地理

といった感じになっている。
ちなみに本試験は明日まであり、明日は地学を残すのみだ。

大検というものはまともに全科目受けるとなると9科目あるのだが、嬉しい事に、私のような高校中退者ならば、在学中に取得した単位によって数科目免除して貰えるのだ。また、英検や漢検、簿記や情報処理等の資格(定められたレベル以上)を有していると、それも試験免除の対象になる。
私は英検準2級を持っているので、それと高校在学時に取得した単位も併せ、合計4科目免除された。つまり受験するのは5科目という事だ。


試験前にテオフィリンを数錠飲んでおいた。今思えばこれが悲劇の発端といえば発端であったのだが…。

国語は一番最初の受験科目だったので流石に緊張した。注意書き等は、事前に問題集の表紙を見ていたので理解出来なくて焦るような事は無かったが、実際にマークシートに対峙して記入していくと、「何か間違いや記入漏れは無いか」と焦って来て、心臓がバクバクして来た。
だが、前日の一夜漬け試験勉強で見越した通り、国語はびっくりする位簡単だった。上手くいけば満点かそれに近い点数を取れている筈だ。

昼休みを利用して、次の受験科目である現代社会、家庭科の見直しや解き直しをする。ここでまたテオフィリンを数錠飲んだ。

現代社会、手も足も出ないという程ではない。しかし何せほぼ一夜漬けで勉強したものだから、細かく覚えていない単元からの出題も多くあり、どうにも回答に詰まる問題が少なくない。一応全てマークしたが、満足のいく結果に終わったとは言い難い。後で予備校からの回答もまだ届いていないというのに勝手に自己採点のようなものをしてみたところ、現代社会が一番落とす可能性が大きそうだという事が判った。

家庭科、これは問題集を解いている時にも感じたが、問題数が多い。制限時間50分で40題あるという事は、単純計算すると1問1分強で解かなければならないという事だ。家庭科の問題数が多いというのは覚悟していたので、とにかくスピードを意識して解いていった。問題数が多い代わりに、平均して問題の難易度は比較的簡単だったが、さっぱり判らない問題・回答したはいいがどうにも合っているのかどうか怪しい問題も多々あった。全問に解答し終わる頃には既に残り時間5分〜10分位になっていて、ろくに見直しも出来なかった。が、終了時刻間際まで必死になってマークしている人もいたようだし、やはり条件は皆同じという事か。こちらも後に軽く自己採点のような事をしてみたが、現代社会の次に家庭科が危なそうだという結論に至った。しかし問題数や難易度、他の受験者の様子からして合格ボーダーとなる点数がやや下がるかも知れない。希望を捨ててはいないのだ。

次の受験科目である地理の試験が始まるまでに、待ち時間が3時間弱もあった。
この時間を利用して、控室で初めて地理の問題集に取り掛かった。どうせ地理は、予備校の先生でさえ「ある程度の国語力があれば勉強しなくても受かる」と言っていたくらいだ。実際、私も解いてみてそう思った。
昨晩は、試験の時間帯と難易度を考慮して、国語・現代社会・家庭科に絞って勉強していた。地理は、この待ち時間を利用して片付けてしまえば良いと昨晩から考えていたのだ。

嫌いな地形図の問題が出て来た。今までの3科目の緊張と昨夜の徹夜の疲労が重なったのか、はたまた猛暑にもかかわらず空調を設置していない会場でバテたのか、段々やる気が無くなって来た。
喫煙室に行って煙草を吸う。アミノサプリを飲む。トイレに行く。何だか頭がフラフラする。

…どうも心身共に疲弊してきてるな。

3時間。長過ぎる。結局控室に戻ってそのまま問題集の続きを解くが、何だか頭痛がするし、テオフィリンの飲み過ぎの所為か胸焼けがする。とてもじゃないが勉強に集中出来る状態ではない。
それでも何とか勉強を続け、一段落したところで何気なく自分の手を見て驚いた。

青い血管が何本も浮き出ているのだ。
そういえば心拍数も上がっているような気がする。試しに脈を取ってみる。

…早い。

脈動が異常に早かった。

…テオフィリンの過剰摂取の所為か。

元々テオフィリンはカフェインとよく似た構造を持ち、私にとっては何故か覚醒剤のような働きをする薬だ。頻脈になっても何ら不思議は無い。
それに、元々は喘息の治療の為に出された薬だ。私のように半ばドーピング的な無茶な使い方をすれば身体に無理が掛かって当たり前だ。しかも私は、今日だけでも1日の規定量の3倍も飲んでいたのだから。

…テオフィリンの血中濃度を下げなければ。
 テオフィリンの半減期はどのくらいだろう?
 調べてなかったな…。
 とにかく、水分を摂って血中濃度を下げて、
 興奮系の薬であるテオフィリンの薬効を下げる為、
 抑制系の薬を飲もう。

アミノサプリをがぶがぶ飲み、それでも足りなかったので足取りも意識もおぼつかぬまま自販機を探す。見当たらない。本部に聞いてみると、外まで出ないと無いという。仕方無くアミノサプリの容器に水を詰め、飲んだ。
そして、携帯していた薬袋の中から睡眠薬を取り出す。長期型で効果も強いものを選んだ。それを先程汲んだ水で流し込む。これで少しは楽になれるだろうか。

体調の事はさておき、まだ解いていない問題が残っていたので何とかそれを片付ける。採点する。よし、まぁ、いけるだろう。

まだ時間が余っていたので、試験開始まではひたすら控室の窓際の風通しの良い席で、机に覆い被さるようにして伏せっていた。テオフィリンが早く抜けてくれる事だけを祈りつつ。

ようやく試験開始時刻となった。
意識を失わないだろうか、吐かないだろうか、こんな状態で集中して問題に取り組めるのだろうか。
不安は多々あった。が、いざ解答用紙と問題用紙を配られてみると、人間とは意外と土壇場に強いもので、案外すんなりと解答していく事が出来た。
無論体調が良くなった訳ではない。ただ、試験に集中しているうちに体調の事は脳の片隅に押しやられてしまったようだ。

心配していた「不明瞭で複雑な見づらい地形図」も出なかった。自信の無い問題も数問あったが、一応推測と勘を頼りに全て解答したので、合格ラインには達しているだろう。

解き終わり、時間もある程度余っていた。他の科目ならここで入念な見直しに入るところだが、流石に身体と精神が着いて来てくれず、簡易な見直しだけ済ませて後は机に伏せっていた。

終了後、フラフラしながら借りていたRの自転車でR宅へと戻る。
私の様子を見たRが心配してくれた。本当ならここで明日の受験科目である地学の勉強を始めなければならないのだが、無理と判断して少し眠る事にした。

途切れ途切れに何度も目が覚めた。
Rは私から見える位置でゲームをしていた。

暫くして少し体調が良くなったような気がして、Rの隣で話をしていた。

「トイレ行って来ようかな。……ぁ、ごめん……気持ち悪い……吐いちゃったらごめんね」

Rは構わないと言ってくれた。

吐いた。

「ゲロの神」は、この後も含め札幌滞在期間中、通算3回も私に降臨した。

しかし、吐くごとに少しづつ楽になった。

「ゲロ神」には感謝すべきなのか、そうでないのか判断に困るところだ。
女の子を好きになったことがある。

こう書くと驚かれる方も多いかも知れない。
が、「恋愛」の定義なんて実に曖昧なものだ。しかも現代の一般的な「恋愛」観との類似性がみられる「恋愛」概観は、中世ヨーロッパ文化を発端とし、実際に広く社会に浸透し始めたのはなんと19世紀頃である。中世を遠く過ぎてからのことだ。
日本史と照合してみると、中世ヨーロッパ以降にあたるのは室町幕府以降の時代である。しかし日本において「恋愛」という概念が初めて歴史上に登場するのは明治時代、そして一般に浸透し始めたのは明治20年代以降のことである。

何故、斯様にラブソングが巷に溢れ、多くの若年層は恋愛の事ばかり考えていたりするのか。そもそも「恋愛」というのは人間が作り出した、いわば願望充足に向けての補佐的役割とも言える「病」の一つであるという事を知らないのか。

歴史的な観点から見ると、日本に於いて恋愛が「病まれる」ようになってからそう長くはない。
しかし人々は、どうもこの新しい病の虜になってしまったようだ。


と、こんな事を書いている私であるが、ご多分に漏れずちゃっかり彼氏がいたり、実らずに終わったものも含め、沢山恋をした。

しかし常に根底で変わらずにいるのは、「『恋愛』とはただの概念の名称である」という事だ。

つまり、特定の感情を表す際に用いる、表記の一部のように考えている。

感情に付けられた名前なんてゴミ箱に投げ捨ててしまえばいい。
「悲しい」という言葉が失くなったからといって人は悲しみを失う訳では無い。「感動」という言葉を知らなくても、人間はやはり感動する時があるのだ。

こんなにまで感情を表す言葉が氾濫しているのは何故だろう。
恐らく、人間は「判らない」という状態を恐れる存在であるからだと思う。これから買おうとしている物が何だか訳の判らない物だったら不安だろうし、他人が自分をどう思うか判らないという不安から、対人関係に悩んだり、流行を追いかけたりする人が後を絶たないのだろう。

私は、名付けられぬままでいたい。
名付けられた感情は時に自身の「生」の感情まで固定してしまう。
深く考えもせずに「悲しい」と言えば本当に悲しくなってしまう時もある。
名付けられぬままの感情でいたい。
そこに不安感がないと言ったら嘘になるが、伝達手段としての「言葉」に、生の心まで規定されてしまうよりはましだ。
言葉なんて矛盾の塊だ。
そもそも言葉を過信して、さもその言葉を聞いただけで本質を理解した気でいる方が間違っているのだ。
言葉なんてただの「伝達手段」に過ぎないのだから。
自分と他者の「言葉」のフォーマットが違うのは自明の理であると言ってよい。

前述のような思念を持つ私は、恋愛に関しても「恋愛」という言葉によって拘束されるのを拒む傾向がある。
男だ、女だ、年下だ、年上だの、そんな事にとらわれているのは馬鹿馬鹿しい。
何と説明すれば良いのだろう、自分と「波長が合う」と感ぜられた人間は、恋愛なんて言葉を通り越して、まず人間的に好きになる。
相手に拒まれさえしなければそのまま友達になったり、更に感情が募ればそれが恋愛(この箇所以降、他に適当な言葉が思いつけないので、便宜上暫定的に「恋愛」という表現を使っている)に発展する事もある。

人間として尊敬出来るか、自分と波長が合うか。この二つが私の中に恋愛感情を芽生えさせたり、友人や知人として好きになったりする上での大きなキーポイントになる。

これらのキーポイントに当てはまった人々の中に、今日から泊めて貰う事になった女友達Rがいる。
彼女とは高校時代からの友人であり、当時から私はRに対して、いつの間にか恋愛感情のようなものを抱いていた。

今でも人間として尊敬しているし、こんなに波長の合う友人はもう一生出来ないかも知れないと思っている。
Rに対して、現在は高校在学当時ほど強い恋愛的な感情を抱いている訳では無いが、それでもやはり上記のような気持ちに変わりはない。

ちなみに、言うまでもなく現在恋愛対象として意識しているのは彼氏だけだ。
何億分の一だとか数学的な部分に興味は無いが、とても信じられないような確率で偶然に出会い、今こうしてお互いに心が通い合っているというのは凄い事だと思う。私は殆ど無宗教だが、仮に何らかの神を信奉するとすれば、それは「偶然」という神であろう。

これは何も恋愛や対人関係に限らず、日頃から私がしばしば思い出す、自作の座右の銘のようなものだ。勿論、Rやその他私にとって大切な人々と出会えた事も、偶然という名の神に感謝の念を奉げたい。

今日は大検の本試験の前日で、母より「前日から札幌(私の受験地)に行って会場の下見をしておいたほうが良い」とのご提言を頂いた事もあり、ろくすっぽ勉強もしないままRの家に転がり込んだ。

Rのお父さんは政治家で、仕事の関係で旭川(私の現在の居住地)と札幌を頻繁に往復している。その為Rの家というのは元々お父さんが持っていた豪華な高層マンションの一室で、私がR宅にお世話になっていた間もRのお父さんが滞在しておられた。日中は流石に忙しいらしく、朝と夜しか顔を合わせられなかったが。

Rは博識で、殊に生物や科学全般、心理学、その他挙げていけばきりがない程膨大な知識を持っている。
本棚には科学雑誌『NEWTON』や別冊宝島シリーズ、『危ない一号』シリーズ、熱帯魚関連の本、ユングやフロイトの本、小説、実用書、写真集、生物の骨格標本の写真の本なんかがズラーっと並んでいたりする。
絵を描かせても上手い。特に生物の絵が得意で、私が高校時代初めてRと話した時、Rはプリントの切れ端に馬の絵を描いていたように思う。

最近のRは、以前から興味のあった水生生物にますます凝り出した様子で、現在は大学に通う傍ら熱帯魚ショップでバイトをし、部屋では目をみはる程豪華な水槽に、沢山の熱帯魚が悠々と泳いでいた。照明も水質管理もゆきとどき、メインの水槽の他にも、大きいものから小さいものまで沢山の水槽があった。
使われていない水槽もあったが、ほぼ全ての水槽に熱帯魚やエビ、新たに生まれた稚魚、餌用の糸ミミズなんかが入っていた。メイン水槽の下のラックには、飼育管理用の用具等がびっちり詰め込まれていた。

興味津々な私に、Rは魚の種類やその希少性等について一つ一つ解説してくれた。Rも専門分野だけあってか、やや興奮気味に話していた。

試験会場の下見に行き、帰りにRと食料品を買って来て、二人でそれをつまみつつ話をしたりしているうちに夜が更けて来た。

試験日は明日だ。勉強を始める事にした。ほぼ一夜漬け状態である。

テオフィリンという、カフェインによく似た構造を持つ薬がある。
これは主に喘息の治療に用いられるもので、軽い喘息持ちの私はこのテオフィリンの錠剤を持って来ていた。
現在、私の喘息はごく軽いものだ。飲まないと発作が起きるなんて事はない。では何故持ってきたのかというと、これを飲むと私の場合、何故か集中力が付き、やる気に満ち溢れ、テンションが上がり、眠気が飛ぶのだ。
まぁ、カフェインにも同様の効果があるとされているが、どうも私の体にカフェインはさほど合わないのか、カフェインだと妙な焦燥感に襲われたり、テオフィリン程の効果が得られなかったりする。

テオフィリンを飲んで勉強を開始する。予定していたスケジュール通りの大まかな演習は、何とか終える事が出来た。少し眠った方が良いかと思ったが、時間的にももう余裕が少なかったので寝坊するのが恐かったし、テオフィリンの所為で眠気がすっかり飛んでいたので、そのまま起きている事にした。

音楽の泥沼

2002年7月30日
Plastic Treeというバンドのライブに行って来た。
ネットで知り合った女性と一緒に。

オールスタンディングで、何の手違いやらファンクラブにも入っていない私が若目の整理番号を手にしてしまったので、中央の最前列から5、6番目位の位置に居た。
とにかく興奮して、ノりまくってしまった。
やはり「生」は違う。終了後はグッズまで買ってしまった。

あと、今日は私の大好きな中村一義のニューマキシシングル発売日でもあった。

これは…豪華だ。4曲入りで1200円もしないというだけでお得感が有るのに、私は予め予約を済ませてあったので初回限定版のCD-EXTRA付きを手にする事が出来たのだが、写真集もメイキングビデオもスクリーンセーバーも入っている。たっぷりと堪能した。

Plastic Treeと中村一義は全く相反する楽曲を作るような気もするし、どこか微妙に共通点が有るような気もする。

どちらにしても、ファンの中にある程度の精神疾患や悩み・生きづらさを抱えた人々が混ざっている点が共通しているといえば共通しているのだろうか。

中村一義は私にとって「前に進む力」や「平凡でもそれで良いんだよ、そのままの自分を楽しめば良いのさ」といった言葉を語り掛けてくれるような存在で、Plastic Treeは逆に「鬱同士シンパサイズされてしまう」のかも知れない。

テクノ系統の楽曲も好む。こちらは、ごく軽く睡眠薬でラリっている時のような状態になれるからだろう。テクノ好きにも精神疾患を持った人や薬中が多い。何故だろう。

ビョークも大好きだ。私にとって憧れの女性だ。
日本で言うと、CharaとCoccoを足して割らずに、更に凄くしたような感じとでも言えば良いのだろうか。カラオケでたまに歌ってみたりもするが、どうもビョークの曲はビョークが歌わなければ駄目なようだ。私が歌うと只の「変な歌」になってしまっている気がする。

中村一義の歌も同様に、私が歌ってもどうもしっくり来ない。寧ろ、歌っている時に自分より中村一義本人の声が聞きたくなってしまう。


…私は背が小さいのに、Plastic Treeのヴォーカル・竜太朗見たさにずっと首を伸ばし続けていた所為か、未だに首が痛む。

※明日か明後日から、大検本試験の為札幌に何泊かして来るので、PCは持って行きますが更新が遅れたり内容が適当なものになってしまうかも知れません。万が一、こまめにチェックして読んでくれていた方がいらっしゃったとしたらごめんなさい。
秘密メモや裏日記、HPいじりもおろそかになってしまうと思いますがご了承下さい。

2号との対話。

2002年7月29日
うるさいんだよ。

小鳥の鳴く声でさえ。
隣室から聞こえ来る父親のいびきでさえ。

もう新聞が届いたの?
やだなぁ、空が白みかけてる。

明るいのは嫌だよ。
真っ暗な部屋に一人で居たいんだ。

何もしたくないよ。
何をしろっていうの?

大好きな音楽も今は聞きたくないよ。
本のページをめくる気にもなれないよ。
ネットにすら繋ぎたくないよ。


「疲れてるの?」

うん、そうかもね。

「…鬱、なの?」

判んないよ。

「気分が悪いの?」

ううん。寧ろ少し心地良いよ。


…軽いトランス?
いつの間に入ったのかなぁ。


「今日のこと、少し書いてごらんよ」

あのね、診察に行って来たんだ。
起きたら、診察終了時刻を少し過ぎていたよ。
病院に電話して、何とか診察して貰って、
薬も貰って来たよ。

MSNメッセンジャーで沢山チャットしたよ。


「君は誰?」

誰だろうね。
って云うか、敢えて言うならそういう事を考える自分が嫌いな人じゃないかなぁ。

「本当の君ってどんな人?」
そういう事聞くのやめてよ。
本当の自分とか自分探しとか、嫌いなんだってば。

「眠たいの?」
うん、眠たい。


私の右肩には「2号」がちょこんと乗っていて、
たまに話し掛けて来る。

現実逃避旅行願望

2002年7月28日
久しぶりにTVを見た。

最近は自分からTVの電源を入れることは殆ど無い。

映像メディアに嫌気が差した訳では無い。ニュース番組には極力目を通したいと思っているし、DVDなら頻繁に見ている。

それなのに何故だろう、自分でも判らない。

動いていない所為か薬の副作用だか判らぬが、最近固形物を摂ることが極端に少ない。

それでも日曜は我が家にとって、一週間のうちでたった一度の家族揃っての食事が出来る機会である。
母に食卓に着くよう言われたので、半ば仕方無く少しだけ夕飯を食べた。

TV画面には南米の峡谷。
丁度エンドロールが流れていたが、あまりにも雄大な景色に思わず見入ってしまった。

そして「世界ウルルン滞在記」。
これは一家三人揃って好きな番組でもある。
湖水に浮かぶミャンマーの村。主な移動手段は小舟。浮き島で畑を作っている。

たまにとんでもない田舎やとんでもない秘境、とんでもなく貧しい国に行きたくなる。

たまに見ている「人生の楽園」という番組も好きだ。田舎で暮らす老後の夫婦の様子が紹介されていたりする、ごく短い番組。

あんな老後に憧れる。今から老後の事を考えるのは少し気が早いような感もあるが、少しずつジワジワと年をとっていくより、いっそのことさっさとしわくしゃになりたくなったりもする。時々。


死ぬまでに、一度だけでも良いので行っておきたい国がある。

インドとインドネシア。

私の過去の日記を読んでくれている人や親しい人なら判ると思うが、理由を詳述すると削除されそうな気がするので敢えて伏せておく。

何も考えずに生きられたらいいのに。
猫みたいにね。
そうだ、今度輪廻転生して生まれ変わるとしたら猫がいいなぁ。人間とかは、絶対嫌だ。

本当は今日は日本のナショナリズムについてびっちり書いていたんだけど、何だか嫌になって消してしまった。

さようなら、ナショナリズム論。
なんてね。あはは。
日記というものは、その日起床してから就寝する迄に起こった出来事や考えた事を書き綴るのが一般的な形式である。

しかし私は根本的に昼夜逆転体質であり、最近などは昼夜逆転どころか生活リズムが180度を通り越して360度回転したり、中途半端に240度位回転してしまっていたりする。

その為、「今日の日記」という概念を私の生活リズムに照合すると、どうしても「?」マークが浮かんでしまう。

昨日の夕方に就寝して深夜に起床し、そのまま起きていて結局再び眠りに就いたのは本日の夕方6時頃である。
目を覚ますと夜の11時を回っていた。これでは何処から何処までが「今日の日記」といえるのか自分でも理解に苦しむ。

取り敢えず、何となくでも「今日」起こったと思える出来事を書いていこう。それから暫く、我が家の家庭環境について書いてみる事にする。

昼過ぎにPCをいじり疲れてそろそろ床に着こうと思っていた矢先、彼氏から電話が掛かって来た。

なんと、今家の前迄来ているという。

なんでも彼氏は私の昨日の日記を読んだらしく、「今日は誰からも誘いが来なかったので結局外出もせずに一日が終わってしまった」云々のくだりを見たようだった。
彼氏は友人Sとの待ち合わせ時刻が定まっていなかったので、それ迄の時間潰しがてら、わざわざ来てくれたようだった。

私はパジャマ姿で化粧もしていなかったし髪もろくに整えておらず、こんな姿を見せるのは恥ずかしいと電話口で言ったのだが、「それでも構わんって。寧ろそんなcocoが見たいんだって」等と言うので、恥ずかしかったが部屋に招いた。

話をしていたりいちゃついていたり(ごめんなさいごめんなさい絞めて良いです)しているうちに羞恥心はさほど無くなってしまった。

目前に迫っている大検の本試験が終わる迄は暫く会えないだろうと覚悟していたのに、まさかこんなにいきなり会えるとは思ってもみなかったので嬉しかった。

我が家は飲食店を営んでおり、両親共に朝から晩まで店で働いているので、概ね私は家に居ても一人でいる事が多い。
しかし母が忘れ物や足りなくなった材料を取りにひょっこり家に戻って来たり、夕方の3時〜5時は休憩時間でその時間帯は準備中にしてあるので、一時的にせよいつ母が戻って来るとも限らない。

なので、部屋に靴を隠して貰い、鍵も閉めたままの状態に戻しておき、万が一の場合に備えておいた。

都合悪くというか当然というか、5時前に母が戻って来た。

彼氏には大きな声を出さないように告げて、部屋の隅の方やベッドの下に隠れて貰い、念には念を重ねて、母がいきなり部屋のドアを開けて部屋中を見回したりされる可能性を考慮して、わざと自分から階下に降りて行き自然に振る舞っていると、難なくバレずに母は店へ戻って行った。一安心だ。

やがてSから電話が来たので、彼氏は少し経ってからSとの待ち合わせ場所へと向かって行った。
昨日父と兼用しているサブ機のPCで一日がかりで検索作業を行っていた。どうせ検索には時間が掛かるのでそのまま階下に放置しておいたのだが、父が検索結果のバックアップも取っていない間にプログラムを勝手に終了させ電源も切られていた。

父はそれ程PCに詳しい訳では無いが、それでも何か作業を行っている事は判った筈なのに、である。私はブチ切れそうになった。御蔭で今日も再び初めからやり直す羽目になった。

母はPCに疎いどころではなく、まともに文字入力すら出来ないようなレベルだが、私が検索作業の途中だという事は知っており、最低でも一日、さらに凝るとなるとニ、三日は掛かる等と話しておいたので父に電源を切らぬよう何度も言ってくれたようだった。

それでも切られていた。今日は母と対策を練り合い、本当は死ぬ程嫌だったのだが、メモ紙に赤いペンで「いかにも女の子」という風体の筆跡で「切らないでね(ハートマーク)」と記してPCに貼っておいた。その作戦が成功したらしく、現在勝手に電源を切られている様子は無い。
父が嫌いだ。たまらなく嫌いだ。

我が家の家庭環境はやや複雑で、現在の両親は二人共私と血が繋がっているが、二人いる姉達は私とは異母姉妹だ。

父が前妻(姉達の実の母)と離婚してすぐに、現在の私の実母と再婚した。母は既に私を身篭っていた。姉二人は実母の元で暮らす事になった。
間もなく私が生まれ、三人家族での新しい生活が始まりつつあった。
しかし姉二人の母が癌で亡くなり、必然的に一緒に暮らす事になった。姉二人も、母も、暫くお互いにぎこちない関係が続いていたらしい。今では「普通の家族」とまで言ってしまうとやや違和感はあるものの、二番目の姉とはある程度良い関係を保てている。現在は少し離れた所で仕事を持ち一人暮らしをしているが、夫に浮気されて離婚したショックからも大分立ち直ったようだ。

一番上の姉は下降の一途を辿るような人生を以前から送り続けている。
高校を中退し18歳で結婚し、すぐに離婚してしまった。その後はヤクザみたいな男達との付き合いが続いていたらしく、男性関係もかなり乱れていたようだ(これは今でも変わっていない)。
やがてローン地獄に陥り、更に携帯料金滞納で多大な借金を抱え、その際ヤクザから鉄パイプで全身ボコボコに殴られて、よろよろと実家に戻って来た時には目も当てられないような姿になっていた。親がすぐに入院させ、母が長年掛けてこつこつと貯めていた貯金で姉の借金を返した。
やがてバイト先のカラオケボックスで知り合った男性と付き合いだし、結婚して遠方で暮らす事になった。
相手は思いやりがあって面倒見の良い人で、子供も二人生まれ、これで一安心だろうと家族全員肩を撫で下ろしていたのだが、数年のちに姉は子宮癌におかされ子宮摘出の手術を受け、いつの間にやらアル中になり、夜の仕事を始めその為か再び男性関係が乱れて来た。子供達もまだ小さいのに放っぽらかしの状態である。自暴自棄になって電話でもまともに話せるような状態では無かった。
姉の夫はそんな姉でも、元の良い関係に戻そうとして信じられない位よく面倒をみてくれたようだった。それでも姉は夫のあちこちに文句を付け、喧嘩が絶えなかったらしい。
姉がこんな状態なのだから仕方無いとも思わざるをえないが、夫も仕事で知り合った女性と深い関係になってしまった。
そして、離婚。姉は実母の親戚達が暮らしているやはり遠方の街に、二人の子供を連れて移り住んだ。
今でも夜の商売を続けているらしい。そして性懲りも無く、また客の一人と同棲生活を送りつつも男性関係がきちんとしている訳でも無く、やはり半育児放棄状態はまだ続いているようだ。


両親に関する話に戻ろう。
私は母をとても大切に思ってくれている。親子だから時には言い争いになったり迷惑を掛けたりする事も多々あるが、それでも母が私を大切に思い、私を理解しようと努めてくれている事は日々感じている。他愛無い話や共通の趣味である文学や芸術の話等もよくするし、父の問題点についてもよく御互いに相談し合ったりする。

それに父にとって私は、母が「産みたいと」言ったから産ませただけの3人いる娘のうちの1人に過ぎないだろうが(しかも姉達には血の繋がった親は父しかいないが私には実母がいる)、母にとって私は「たった1人の娘」なのだ。

父には家を出て行って欲しい位だが、母だけは死ぬ迄ずっと大切にしてあげようと思う。
今日も全く外出せず勉強もせず、殆ど一日中ネットしたり画像をいじっていたりしていた。

引き篭もりの典型例だ。抗鬱剤も飲んでいるし、別にこれといって抑鬱状態にある訳では無い。寧ろ誰かからお誘いが有れば直ぐにでも外出したい気分では有るのだが、今日は誰も連れ出してくれなかったので結局こんな一日に成ってしまった。

だから、ぶっちゃけて言ってしまうと今日はこれといったネタが無い。
しかしネタが無くとも無理矢理にでも何か書くのが私の文章修行の一環であり、習癖なのだ。

なので今日は私のネットヒストリーに絡めて、過去にトランス状態に入り高校を自主退学した珍話を書いてみよう。


私が初めてインターネットに触れたのは1996年のことだ。

父が仕事の関係でPCを購入したのがきっかけだった(ちなみに今は自分専用のノートをメイン機にしている)。
当時から強迫神経症的ともいえる情報収集癖の有った私は、インターネットというものに大きな関心を寄せており、予めPCにインストールされていた無料お試しコースで初めてネットの世界に触れた。

当時は今に比べるとネットの普及率も低く、Webサイト自体もさほど多くは無かったが、それでも初めてネットを体験した私にとっては、そこは膨大かつ自由で濃密な、いわば数々の星々の散りばめられた広大な宇宙のように感ぜられた。

そしてWebサイトの閲覧だけではなく、BBS、メール、チャットといった地理的な差異を飛び越えたコミュニケーションツールを知り、それが更にネットジャンキーへの道に片足を突っ込むきっかけとなった。

無料体験期間が終わると、またネットに繋いでみたくて仕方が無くなった。父にプロバイダ契約の話を持ち掛け、話し合った結果OKが出たので早速毎日のようにネットに繋ぐこととなった。

当時は極めてベーシックなダイヤルアップ接続が一般的で、ましてや初心者の我々にベーシックなダイヤルアップ以外の接続手段は考えつく筈も無く、プロバ料金は定額制のコースを選んだが電話代が恐ろしい勢いで右肩上がりになっていった。

そんな中メル友が出来、通いサイトが定まり、メルマガの発行を始め、初めてHPも立ち上げた。当然月々の電話代は物凄い額になった。やがて親にプロバ契約を切られ、数ヶ月間失意の日々を送っていた。

ところが、である。
特待生で入れて授業料が全額免除になるという理由で適当にカトリック系の女子高に潜り込んだのだが、その高校がPCを50台位完備しており、おまけに生徒全員にメールアドレスが割り振られ、ネットも繋ぎ放題という夢のような環境だった。

朝の始業前、休み時間、はたまた放課後も遅く迄残ってネットしていた。私と同じような人が沢山居た。仲の良い友人達のうち幾人かもネット好きで、皆で集まってエロ画像やグロ画像を見たり、隣に居ながらヤフーのチャットで会話して他の参加者をからかったりして楽しんでいた。

やがてまたHPを立ち上げた。学校からのみの更新となると辛いものが有るので、当時普及し始めていた無料プロバイダを使用して、自宅からもこっそり更新したりしていた。

校内LANの管理を担当していた先生といつしか仲良くなり、当時在学していた生徒の中では「cocoが一番PCやネットに詳しい」と認めてくれた。PC話やネット話に花が咲き、「うちの学校のHPの管理を任せたい」だの「Linuxを入れろ」だの「プログラマーになれ」だのと言われた。原則的に生徒は立ち入り禁止である筈の、サーバーやLANの管理を一括して行っている部屋への入室もいつの間にか黙認されていた。

本気でプログラマーやSEの職に就く事を考え出し、独学でC言語を学ぼうとしたりもしてみたが流石に難しく半ばにして断念した。

結局、特進コースで授業時間が長く勉強が辛いという事もあってか、カトリック的な思想や多くの教師達との相性が合わなかったのか、2年で高校は自主退学してしまった。


まぁ、退学の直接的な原因はもっと他に有ったのだが。
前述のようなストレスが重なったり、睡眠リズムを上手くコントロールする事が出来ず遅刻・欠席が絶えなかったので、在学中から親に連れられて精神科に通い始めていた。
しかし精神衰弱が自主退学を導いたかというと決してそうとも言い切れない。
私は休学後に自主退学したのだが、その休学のきっかけというのが珍話なのだ。

私は以前から常に妙なプライドに縛り付けられ、試験の度に一夜漬け状態で猛勉強し、答案が返って来ると苦手な数学を除く多数の科目で成績上位者として名前を読み上げられたりしては悦に浸っていた。
今思えばこんな愚鈍な奴は死に値すると我ながら思う。

で、高ニといえば修学旅行である。
この修学旅行がまた曲者で、一週間掛けて九州から北上して北海道に戻るという大変なハードスケジュールだった。帰って来ると心身共に披露困憊していて何も手に付かなかった。

そしてそんな私に銃口を向けるようにして、三日後に試験が迫っていた。まったく、教師共はどんな脳味噌をもってして、こんな生徒虐待の如きスケジュールを組んだのだろうか。

当然勉強など手に付こう筈も無い。先述のように当時愚鈍なプライドの塊であった私は、試験が目前に迫っているというのに全く勉強していない事で半ばパニック状態に陥り、ある時いきなり頭のネジがプチーンと音を立てて何処かに飛んで行ってしまった。

そのまま、初めてトランス状態に入った。
2週間程ベッドに潜って食事もせず、眠るか、ひたすらアンビエントミュージックを聞くかしていた。
トランス状態は今迄体験した事の無い程心地良いものだった。通常の「リラックス」なんて言葉では表現出来ない程の、恐ろしい程に心地良い脱力感。
こう書いてもやはり実際に体験してみないと判らないだろう。故・ねこぢる氏のコミック『ぢるぢる旅行記』や、田口ランディの『コンセント』等を読むと少し理解出来るかも知れない。

トランス状態から抜け出したきっかけは、「この未だかつて無い感覚を誰かに伝えたい」という思いがふつふつと湧き上がってきたという事だった。

元々遠い夢は文筆業だ。文章を書くのは寧ろ快感である。始めはノートに脈略も文脈も有ったもんじゃ無いような文章を殴り書きして母に無言で渡し、それを何度か続けた後に、今度はWordで今迄羞恥心や社会的防壁が邪魔して誰にも話した事の無かった胸の内の脱社会的な文書を延々と書き綴るようになった。

その文書をプリントアウトして母に見せる。その文書とノートの走り書きを手にして、母は私を精神科へと連行して行った。

やがて母や医師に書いた物を見せるのが快感になり、文章の体裁も段々と整い、それはエッセイ・小説等へと姿を変えて行った。
のちに製本して売り出し、完売し、今はもう製本に疲れたので地元の図書館に置いてあるものとデータのバックアップだけが残っている。


さて、ネット絡みの話へと戻ろう。
プログラマーやSEへの道を完全に諦めた訳では無い。
現在は無事大検に受かったら専門学校に進み、精神保健福祉士(PSW)になろうと考えているが、もしそちらが無理なようだったら迷わず情報処理系の専門学校へ行くだろう。

PSWになろうと思ったきっかけは、やはり自分がそういった方々の御世話になった所為だ。

・・・しかし、キチガイに面倒を見て貰いたがるキチガイが存在するのだろうか。それだけが不安の種だ。
・・・まずい。

何がまずいのかというと、今日は何もかもがまずかったとしか言いようが無いのだ。

まず、勉強していない。
正午近くに起きてから、外出もせずに主にネットばかりしていた。
動いていないのにきちんと一食摂ってしまった。
そして、デイケアに行っていない。
更に、連日デイケアをサボってデイケア費だけせしめていた事が親にバレた。

HPをかなり改装した。それでほぼ一日時間を潰してしまったようなものだ。昨日の日記には「HPマークから画像置き場に飛べるようにした」という趣旨の事を書いたが、折角大幅に更新したのだから半休止中でも何でも良いので本家のHPに飛べるようにリンクを張り替えた。

こちらからも、PCからなら「画像置き場」やこの日記、裏日記等に飛べるようにした。
魔法のiらんどで作成しているので一応携帯ユーザーにはある程度の注意を払っているつもりではあるが、私のネット環境は主にPCなのでどうしてもPCユーザー向けになっている感が否めず、携帯の方には大変申し訳無い。

私は一時期ネット環境が携帯しか無かった時期が有り、その中で知り合った友人達も閲覧可能な環境を作っておきたかったので、魔法のiらんどでHPの作成を始めたのだ。

しかしやはりiらんどでは制約が多すぎるし、正直PCからだと非常に扱いにくい。
プロバイダのURLだけは取得してあるので、復活したらそちらをメインにして、iらんどの方はあくまで携帯版という形で運営して行こうかとも考えている。

HPのバナーまで即興でこしらえた。
どうせ高校時代に作っていたHPバナーの使い回しだ。Webのデザインとしてシンプルなものを好むのは当時から根本的に変わっていないので、当時から気に入っていたバナーではあったし、文字を乗せるだけですぐに出来た。

半休止中と云えども、「実況中継」というコンテンツに更新状況等は随時UPしているし、大検の本試験(8月1日〜2日)が終わればまた本格的に定期的な更新を続けるつもりだ。しかもこの日記へのリンクも貼ってあるし、プロフィール等も何か変更が有れば更新している。あながち休止状態でもないのかも知れない。

因みに「実況中継」というコンテンツは掲示板式で、私がネット上に居る限り、私のみが書き込めるようにしておいて随時今している事、思いついた事等を走り書きしていた。
今でもたまに本当に「実況中継」する事も有るが、最近は書き込みは更新情報メインになってしまっていて、裏日記が実況中継に取って変わってその役割を果たしている。

裏日記の方が誰でも書き込み自由のスレッド式掲示板型なので来訪者とのコミュニケーションが取れたりもして面白いし、以前携帯でネットしていた時の「通いサイト」でもあったので、そこで知り合ったネット上・実生活の友人達もたまに遊びに来てくれたりして、半分チャット状態になったりもするので遊び甲斐があるのだ。

ネット上で起こった出来事をもう少し書かせて貰うと、彼氏との出会いのきっかけでもあるエキサイトチャットでキチガイ女(仮にKとしておこう)からIMが来た。
彼氏はエキチャの超常連、私も結構頻繁に出入りしている方だと思うので、彼女は恐らくたまにROMっていて、私と彼氏との現在の関係を知ったのだろう。

IMについて少しばかり述べておくと、何の略かは私自身未だにきちんと理解していないのだが、ログインしている人同士で1対1で話したい場合に使用される、要するにプライベートメッセージのようなものだ。

件のキチガイ女曰く、以前私と彼氏が付き合う前に私の彼氏に会った事が有り、その際自宅迄送ってくれたりもしたが、後に人づてに私の彼氏がKの事をブサイクだのキモイだのボロクソに言っていたと聞いたらしく、それを名誉毀損と受け取り、訴訟を起こして最低でも100万円以上の慰謝料を請求する覚悟も有る等と言っていた。

私を挑発するような言葉も多数投げつけられたが、何となくキチガイっぽい雰囲気は最初から感じ取っていたので軽く流しておいた。
彼女は私の彼氏に電話番号を変えぬようにと伝えて落ちて行った。

後程彼氏にMSNメッセンジャーと電話で連絡を取ったところ、確かにその女に会った事は有るとの事だった。

私は男女間の付き合いで束縛するのもされるのも苦手だし、別に彼氏が私と付き合う以前にネットで知り合った女と何が有ったとしても、今現在お互い円満に行っていれば別に妬いて怒ったりする事等皆無だ。流石に今浮気をされたりしたら失望するだろうが、それはまぁ、当然だろう。
私はサバサバした性格だし、彼氏も執拗に束縛するようなタイプでは決して無いので、今のところお互い気持ちの良い距離が保てていて、私的にはとても心地良い関係が続いていると思う。

例のキチガイ女、Kの話に戻ろう。
彼氏は実生活ではとても率直に物を言う性格で、実際に会ってはみたが、ぶっちゃけて書いてしまうと本当に物凄いブサイクだったらしい。

Kが電話番号を変えないようにと言っていたとの話もしたが、彼氏は丁度今持っているPHSを解約して、私との通話が安く済み、メールの際も便利なauの携帯に変える寸前だった。
彼氏曰く、もう2、3日でauの携帯も繋がるし、下手にPHSの番号をそのままにしておくと面倒な事になりそうなので明日PHSを解約してくるとの事だった。

そして、やはりKはキチガイ女であるという結論に達した。
私も、もうめでたく精神科通院歴2周年を迎える半引き篭もり・躁鬱持ちの睡眠薬中毒だし、ODで運ばれて死に掛けるわ、自殺念慮もたまに襲ってくるわ、自発性トランスの気は有るわで一時期閉鎖病棟に入院していた事もある程の筋金入りのキチガイだが、あの女は私とは別種の意味でのキチガイだ。

「普通」と「キチガイ」の違いなど誰にも判りはしない。

私は仲良くなった人等には何のためらいもなく精神科に通っている事をカミングアウトして、寧ろ話のネタにして笑い飛ばしてしまう。

こういう話は精神科通院・入院者でない限りなかなか聞ける事の少ない話なので、かなりの人が興味深そうに聞いてくれるし、かなりの確率で笑いも取れる。

そう、笑い飛ばしてしまえば良いのだ、自分自身を。
寧ろキチガイをネタにして笑いを取る位の覚悟で行ければ最高だ。
それが、精神的に楽になる為の最良の手段だと私は考えている。

鬱状態にある時は流石にこんな真似は出来ないが、私はドスンと落ちても薬を飲んで数日から1週間程ですぐ回復するのが恒常的なので、カミングアウトしない限りキチガイだと悟られるような事は殆ど皆無で、ただの「ちょっと変わってるけどサバサバしてて気さくな人」でいるつもりだ。


「普通の人」と、前述のK含む精神科には通っていないキチガイも含め、両者ははいかに違うのか。

その問いに明確な回答を出せる人が居たら是非紹介して欲しいところだ。私自身、判らないのだ。誰だって「ちょっと変わった部分」は必ず持っている。寧ろ「普通」なんて概念は虚構ではなかろうか。

皆と合わせて安心している糞な奴等が、一般的には「普通」な人として定義されている。

そんな奴等を横目で見つつも、えせリベラリストな私は糞な奴等も肯定する事にしている。

そうだ、目指すは、博愛だ!
11時頃に目を覚ました。
昨日分は1日分の睡眠薬を全て夕方のうちに飲んでしまっていて仮眠を摂って真夜中に起きたので、もう眠れないだろうと思っていたのだが、明け方にネット疲れして布団に潜り込むと、短時間ではあるが以外にもナチュラルな睡眠を得ることが出来た。

エキサイトフレンズで知り合った、一つ年下の女の子Aが家に遊びに来る。
約束は3時半。デイケアに行ってもどうせ4時迄なので短時間で早退してしまう事になるし、何だか行く気も起きなかったのでサボる事にした。

部屋を軽く片付ける。PCをいじって少しネットする。一服して薬を飲んで、出掛ける準備をする。

Aは本屋でバイトをしているので、私がバイト先迄迎えに行く事になっていた。
早目に来ても良いとの事だったので、時間に余裕も有ったし2時頃にはAのバイト先に着いていた。

いくら早目と言ってもこんなに早く着くとは思わなかったのだろう、Aのバイト終了時刻は4時だという。

それでも本が有れば幾らでも時間を潰せる私だ。大型書店なので退屈する事も無い。丁度良く椅子まで有る。中村一義の記事が掲載されていた雑誌を読んで、こっそりデジカメで雑誌から中村一義の写真を撮った。うまくレタッチ出来れば携帯の待ち受け画面なんかにも使えるかも知れない。
HTMLタグ辞典最新版を斜め読みしたり、デジカメ関連の雑誌を漁ったり、鶴見済の『無気力製造工場』を未だに読んでいなかったので検索してみたり、コミックコーナーで松本大洋の『ピンポン』を買おうかどうしようか迷ったり『ガロ』系のコミックを漁ったり、とにかく退屈はしなかった。

最近の小説・エッセイ等の新刊で「読みたい」と思えるものが極端に減ってしまった。
多分、本好きを自称する人達の多くがそういった思いを抱えているのではないだろうか。

言葉が飽和しているのだ。
日本語が臨界点に達しているのだ。
ストーリーも文体も、「どこかで見た事が有る」「どこかで聞いたような話」「以前の著作の焼き直しみたい」な感じになって来ている感が否めない。
勿論例外は有るが、これはどの作家・作品にも広く蔓延している靄のようなものだと思う。

書籍だけではない。
音楽も、最近は少しばかりましになって来たようにも思えるが、新譜で「良い」と思える曲が無い。
J−POPの歌詞は言うまでも無く主に日本語で書かれる訳だが、概ね「どこかで聞いたことのある詞」ばかりになって来てしまっている感がある。
メロディーラインやアレンジにしても、なかなか惹かれるものがない。音楽もまた、飽和状態にあるのではなかろうか。

社会学者・宮台真司の言葉を借りると、これは「成熟社会化」が進んだ為だそうだ。
しかし宮台氏の著作にそう記されてあったのは2、3年前の話である。私は寧ろ、現代日本は成熟化を通り越して行き場を見失い、新しいステージへと進む道を模索する過渡期的な状況に有るのではないかと考えている。
社会情勢にしてもそうだし、サブカルチャーを含む文化や民度等、全てを統括した上での話だ。
もっとも、「次のステージ」へと辿り着けるかどうかは誰にも断言出来ないだろうし、ましてや私などが日本の未来を予見できよう筈も無い。


書籍を漁っていても少し時間が余ってしまったので、中村一義の携帯ストラップを購入しようと思って昨日オフィシャルHPを見ながら書いておいた振替用紙を郵便局に出しに行く。
郵便局は近かったのですぐにAのバイト先へ戻ると、もうすぐ4時を回るところだった。

Aがバイトの引継ぎを済ませ、家へと向かう。
麦茶と、私の好物であるアボカドを出してあげたがAの口には合わなかったらしく(アボカドは好き嫌いがはっきり分かれる果物なのだ)、結局殆ど私が食べてしまった。

Aに私のHPやこの日記、裏日記、以前作った二冊の本をバックアップしておいた物等を見せてあげる。
Aは、私が本を書いて製本し、手売りや書店での販売、また、今でも近くの図書館に置いて貰っているという話をすると大変興味を示して、自分も趣味で詩を書いているので本を出したいと言った。

私の場合表紙や裏表紙のデザイン・装丁等も全て自分でやったので、実際にどのようにして表紙を作るか実演して見せてあげた。

Aの希望を取り入れ、手持ちの服の中から赤いギンガムチェックのキャミショールワンピースをバックに敷いて、部屋にあった小さなオレンジの熊の人形を中央に置く。
デジカメの設定を調整し、写真を撮ってPCに取り込み、Photoshop6で加工する。

Aは私の一連の作業をとても興味深そうに見ていた。実際に製本する事になったらサポートしてあげる約束をした。

Aが帰った後、メールで自作の詩を少し送って来た。感想を聞かせて欲しいとの事だった。
正直に言ってしまえば、Aの詩はどこにでも刷いて捨てる程ありふれた内容だと思わざるを得なかった。恋愛の内容が中心で、素人臭さが前面に出てしまっている。まぁ文章含め芸術なんて、プロでも無い限りその人のやりたい事をやりたいようにやれば良いのだから、私があれこれ文句を付ける筋合いは全く無いが、「もっとオリジナリティーを出したり、比喩的な表現を使ってみると良いかもよ」等と、素人ではある私だが文章にはある程度の自信は有るつもりなので、一応アドバイスのようなものをメールしておいた。


勉強していない。

大検の本試験間際だというのに。

今日も結局ウェブ巡回とチャットやメール、掲示板への書き込み等ばかりしてしまった。


アメリカが人種のサラダボウルだとしたら、日本は文化のサラダボウルだ。
それは殊に文化に色濃く表れているように思う。

その象徴としての、「日本語」。

漢字。
カタカナ。
ひらがな。
フォーレン・ワード。
Ro-ma-ji.
English.

それらを率直に、悪く言ってしまえば愚直に、でも積極的に取り入れて来て作られて来た、「日本語」。
自分が特別に愛国心の有る人間だとは思わないが、世界で最も難しい言語の一つと言われる日本語を、話し、そしてこうして文字にして綴れる喜び。

そう、もし「日本」の何が一番好きかと訊ねられたら、私は迷わず「日本語」と答えるだろう。
難しくて、曖昧で、日々変化してゆく日本語。

でも、世界中の何処を探しても、こんなに操り甲斐が有って、遊び甲斐の有る言語はそうそう存在しないのでは無かろうか。

こうして、プロなんて所詮夢で終わるかも知れないのだろうが、それでも「書く」事は、私の一生のライフワークとなり続けるだろう。

※今日から名前の横のHPマークを押すと私関連のページへのリンクが貼られたページに飛べるようにしました。裏日記、半休止中のHP等に飛べます。裏日記は掲示板式で、どなたでも書き込み自由です。PCからだと書き込み登録というものが必要だけど、至極簡単なもので固定HNを登録する必要も有りません。裏では素の私が見れると思うので、気が向いたら何か書き込んでやって下さい。タメ口&呼び捨てで応答致します(これは親愛の証なのです:笑)。
起きると正午を回っていた。
PCをベッドの上に置きっ放しにして色々といじくりながら眠ったらしく、PCとスピーカーが傍らに有った。

デイケアに行かなくては。
先日買った温泉まんじゅうを皆に配って、Aちゃんが忘れていった服を届けなければ。
それに、大検の試験日がもうすぐそこまで迫っている。私は自宅でなかなか勉強出来ないので、デイケアでやろう。

なんだかまだだるさが残っていたので、化粧はせずに楽な格好で行った。家を出る前に、明日エキサイトフレンズで知り合ったAという一つ年下の女の子が家に来るので、荒れ放題の部屋を少し片付けた。

デイケアでは丁度プログラムの話し合いをやっていた。私も少し意見したり案を出したりした。
終わると、皆にお土産のまんじゅうを配る。でも、後でスタッフの人に「気持ちは嬉しいけど、今度からはお金を掛けるようなものはなるべく避けてね」と釘を刺された。やはり病院側の意向等も有り、原則的に患者からの金品の受け取りは避けたいのだろう。

喫煙室に行って少し談話する。
喉を痛めているので普段吸っているセブンスターがきついような気がして、セブンスターメンソールライト(?)みたいな煙草を1本頂く。うん。メンソールが効いていて喉がスースーするし、そんなにきつくなくて丁度良い感じだ。

喫煙室を出ると、ソファーに寝転がって早速勉強開始。現代社会の問題を解く。
今迄暫く勉強していなかったので「殆ど解けないだろう」と覚悟しえいたのだが、びっくりする程簡単だった。添削式なので回答は無かったが、どんなに少なく見積もっても65点か70点は取れるように思う。

疲れたし眠かったので、Coccoの曲を覚えるためMDウォークマンで聞きながら寝た。デイケア終了時刻にスタッフに声を掛けられて目覚めた。

朦朧とした頭で清算を済ませ、アミノサプリを買いに行く。
私はポカリスウェット中毒なのだが、彼氏がアミノサプリをよく飲んでいて、以前飲ませて貰ったところ味的にもポカリと殆ど遜色無く、おまけに肌荒れは治る、集中力は付く、脂肪も燃焼される、ポカリよりカロリーが少ないので、現在ポカリからアミノサプリに移行しようとしているところだ。

ヨーカドーでアミノサプリを買った際、テナントの店でスヌーピーのキーホルダーと小さなぬいぐるみが売っていたので買ってしまった。

家に帰ると眠くて眠くて、そのまま睡眠薬を飲んで寝てしまおうと思ったが急に先日食べた吉野屋の牛丼の味が思い出され、母に電話して牛丼を作って持って来て貰う。

その間に、少し部屋の片付けの残りをして、旅行中に撮った大量の写真を途中迄HDDに保存した。

牛丼を食べて、睡眠薬を飲んで、寝る。
11時過ぎ頃、Yちゃんという気のいいおっちゃん友達からの電話で目が覚めた。
・・・酔っているらしい。彼は酔っていると色々な人にやたらと長々と電話を掛けまくるのだ。

諸用が有ったので適当な所で切り上げて、PCの調子が最近芳しくない気がしたのでデフラグする。デフラグ如きでそんなに変化は無いような気もするが、まぁ、気分だ。

デフラグ中はPCをいじれないので、溜まっていたポストカードを部屋の壁ににべたべた貼ったり歯磨きや洗顔を済ませた。
先日札幌で買って来たアロマキャンドルと可愛いガラスのキャンドル立てをPC台の上に置いて火を付ける。うん。いい香りだ。「ブルームーン」と書いてあった。夜型の私にぴったりだ。

喉もトローチのお陰か少し良くなった。2、3日中には完全回復しそうだ。


やることや、やりたいことがたくさんある。

勉強。
写真いじり。
歌の練習。
アコギの練習。
読書。
中村一義のDVDの予約。
中村一義の携帯ストラップ購入。
ネット徘徊。
チャット。
メール。
掲示板への書き込み。

でも、つかれたよ。

嗚呼これから何しよう。

童心に帰ル

2002年7月22日
目が覚めると、ぼぉっとしていた。
頭も身体も。

慣れない薬局の睡眠薬の所為だろうか、それとも旅行の疲労の所為だろうか、はたまた昨日の自殺未遂事件の断片みたいなものを身体が覚えているのだろうか。

それでも彼氏とお祭りに行く予定の時間が迫っていたし、今日は診察日でもあったので出掛ける支度を始めた。

彼氏が病院迄送ってくれた。
私は先生に見せる為に昨日の日記をプリントアウトしたものを持って行った。
元々遠い夢は文筆業志望だし、その時の状況や気分を表すものとして何か書いた物が有れば診察の時に持って行くのは私の常套手段である。
それに、今度うまくいけばボーカルをやらせて貰えるかもしれないので歌の練習をしまくっていた所為で喉が腫れていて痛かった。なるべく沢山声を出したく無かったのだ。

先生は忙しい中私の持参した文書を丁寧に読んでくれた。
薬が追加された。以前迄ずっと飲んでいた抗鬱剤だ。今でも一日一錠別の抗鬱剤を飲んでいるが、今度は2カプセル一日三回だ。「毎食後服用」との事だったが、どうせ固形物を摂る事の方が少ない私だ。適当に一日三回時間をあけて飲めば良い。

喉が辛かったのでトローチも出して貰った。薬局に処方箋を持って行くとトローチでも無事に公費負担が効いた。薬代、しめて180円。かなりの量の睡眠薬と抗鬱剤二種類、抗不安剤、トローチ。全て合わせてもタダみたいな値段だ。

まだ何だか少し鬱々としていてすぐにでも薬を飲みたい気分だったし喉が痛かったので、薬局でぬるま湯を貰った。少し楽になった。

彼氏に連絡を取り迎えに来て貰う。
さぁ、祭りだ。

彼氏は「焼きそばが似合う」なんて以前私やチャット仲間にからかわれていたりしたので、早速焼きそばを食べる(と言うより食べさせた?)。機会が有ったらネットで公開してやろうかと思って彼氏が焼きそばを食べている所をばっちり写真に収めた。私は広島風お好み焼きとクレープ。仕返しに私がソースをたらしながらお好み焼きを食べている姿も撮られた。

シルバーアクセサリーの店も色々覗いたりした。彼氏はそっちが本業だし、彼氏の影響か私まで最近シルバーアクセサリーに凝りだしてしまったので、ついつい気になってしまったのだ。
シルバーアクセのくじを1回だけ引いた。純シルバーじゃなかったけど、祭りのくじとしては結構可愛いものが当たった。

中村一義の影響で最近スヌーピーが気になって仕方ない私は、スヌーピーくじを3回も引いた。でもぬいぐるみが欲しかったのにペンケースやクリップや鉛筆削りばかり当たってがっかりした。

二人でスマートボールをした。私は2回も揃ったのに彼氏はさっぱりだった。でも楽しかった。

いい年こいて型抜きもやった。
私も彼氏も小さい頃は型抜きが得意だったので二人共成功して元が取れた。何だか懐かしい気分になった。

本当はリクガメが欲しかったので売っていたら買おうと思っていたが、何処もミドリガメの亀すくいの露店ばかりだったので断念した。

彼氏や友達等親しい人とお祭りに行ったのは久しぶりのように思う。
何だか童心に帰った気分で、少し懐かしくて嬉しい気分になった。


一通り回り終えてもまだ時間が有ったので彼氏の家へ行った。
私は何だか眠くて眠くて、彼氏のベッドでいつの間にか寝てしまった。
12時過ぎに目が覚めて、何だかだるいしこのまま泊まって行きたい気分だったが親がまた心配するといけないので彼氏に送って貰って家に帰った。

そのまま今日処方された睡眠薬を飲んで寝た。多分。

ねむくてだるくてのどいたくて、つかれててあんまりおぼえてない。
睡眠薬を失くしたので「繋ぎ」にと買って来た薬局のごく弱い睡眠薬と缶チューハイ、あれがまずかった。

「ウット」という睡眠薬だ。主成分はブロムワレリル尿素というもので、これは先日製造中止になってしまったサトウ製薬の「リスロンS」と同じ成分だ。

リスロンは処方薬に慣れている私にしてみれば「弱い」。でも安価だったので足りなくなった時等によく買っていた。

ウットを買ったのは初めてだった。値段がリスロンの倍もするので今迄はリスロンで充分だと思っていたのだ。

まず、帰ってネットに繋ぎつつ缶チューハイを開けて飲む。彼氏とメッセで話してから明日の予定について電話する。オークションの評価を入れたり、この日記や裏日記(昨日からHPマークから飛べるようにした)の書き込みをする。少しだけメールする。

おおよそのネット絡みの作業を終えると、早速酒でウット6錠を流し込む。
何が「通常大人1回1錠、1日1〜3回食後服用」だ。リスロン12錠入りを一気に飲んでも眠くも何ともならなかった事も有る私は、正直タカをくくっていた。

これがいけなかった。アルコールで効果が増強されたのか、はたまたブロムの他に含有されていた成分、「アリルイソプロピルアセチル尿素」や「塩酸ジフェンヒドラミン」が効いたのか、いつの間にか完全にラリっていたらしい。

彼氏と明日お祭りに行く予定だったので、すぐネットを切って、顔を洗ったり歯を磨いたりしながら効果を待とうと思っていた。俗に言う「寝待ち」である。

ところが意外に効果が早く出始めたらしく、記憶が断片的にしか無いのでうろ覚えだが暫くネット徘徊していたらしい。
一応PC台が有るのにPCを落とす。スピーカーも落とす。PC台の上に有った缶チューハイの残りをこぼす。直そうと思って立ち上がると、こける。

物音で母が目覚めたらしくドアを開けて声を掛けて来た。
「大丈夫だよー」と言っておいた。実際自分では自覚症状が少ないものなのだ。

その際母と少し話した所為か、昨日迄よく傍に居たKが近くに居るようなつもりになって、誰も居ない部屋でKに話し掛けては、「そうだ、帰って来たんだった」と我に返るような事が何度も有った。
傍らから見ればただの「危ない人」である。

それから先は鮮明には覚えていないが、多分面倒臭くてそのままベッドに入ったのだと思う。起きると動かした覚えの無い物が移動していたり、有った筈の物がどこかへ消えていたりしたが。

目覚ましも掛け忘れたらしい。1週間弱の睡眠不足と疲労が祟ってかはたまたウットの力か、15時間弱も寝てしまった。

彼氏からの電話で目が覚めた。気付くと彼氏と約束していた時間を2時間位過ぎている。

死にたい気分だった。気分どころじゃなくて、実際に死のうという思いがふつふつと湧き上がって来た。

私は駄目な人間だ。どうせ誰からも嫌われて終わりだ。きっとまともな人間関係も続かないし、まともな職にも就けそうも無い。人に迷惑を掛けてばかりいる。生きているだけで罪に値する。それにこんなに人がウッジャウジャ居る世界の中で、私一人位居なくなっても世の中何か変わる訳でも無い。

Wordで遺書を書いて、PCを開きっぱなしにしてすぐ見えるようにしておいた。PCに疎い親が誤って消してしまわぬよう、判り易くデスクトップに保存しておいた。

「私は生きるに値しないので死にますそれだけです。死体の使える部分は全て臓器提供に回して下さい無理なら大根畑に埋めて下さいそして私は肥料となり輪廻転生して次に生まれゆく誰かの一部となります。少ない遺産は全て母にあげます。私と関わりのあった全ての人達へ。今までご迷惑お掛けしましたそしてありがとうそしてさようなら」

遺書の内容は大体こんなものだったと思う。

彼氏にも「わたしのあたまはどうかしてるんだ殺してっていうか消えるわ今までありがとうさようなら」とメールを送った。

彼氏に嫌な思いをさせぬようペアリングや貰ったペンダントを外し、自分で買ったお気に入りの指輪と、「coco」とネームの入ったペンダントだけを付ける。最後の自己主張だ。服も上下共大好きなマジェスティックレゴンのものに着替える。出来る事ならシャワーを浴びて身体を綺麗にしてから死にたいと思ったが、そんな気力は無かったので歯だけは磨いておいた。
階下に親が居たので涙でボロボロの顔を見られぬように髪で顔を隠して目を合わせないようにした。

私が着替えていたので母が「どっか行くの?」と聞いてきたので「うん」と答えた。
そうだ。遠い所へ行くのだから嘘は言っていない。

決行の方法は決まっていた。自室の窓から飛び降りるのだ。薬も手首も未遂率が高い。首吊りが最適だが紐を掛ける場所が見当たらなかったし丁度良い紐が無い。2階からでも打ち所が悪ければ死ねる可能性は充分有る。

気分を落ち着けようと思って抗鬱剤と抗不安剤を飲んで煙草を吸った。これから死のうとしている人間が抗鬱剤や抗不安剤を飲むというのも考えてみればおかしな話ではあるが。要するに少し恐かったのだ。恐怖を拭い去るために落ち着こうと思った。

窓を開け、下を見る。そんなに恐くない。いけそうだ。でも飼っている猫が近くに座ってこちらを見ている。気持ち悪いものを見せるのは可愛そうだ。
「ヴィヴィ(猫の名前)、遠くで遊んどいで」「お家入りな」等と何度も声を掛けるが、なかなか動かない。

そうこうしているうちに彼氏から電話が来た。何度も着信音が鳴っていたのには気付いていたけどそれまで取らないでいたのだが、最後に「今までありがとう」と言おうと思い通話ボタンを押した。

今、家のすぐ近く迄来ているという。後味の悪いものを見せる事になるので近寄らないほうが良いと言った。彼も大体私が何をしようとしているのか判ったらしく、家の前迄来て「階段から降りておいで」と言う。

彼氏の顔を見たら何だか筆舌に尽くしがたい感情が押し寄せて来て、朦朧とした頭で「取り敢えず死ぬのは後にしよう」と思った。
階段から降りて外に出ると、彼氏が抱き締めて優しい言葉を掛けてくれた。涙が止まらなかった。

遺書も彼氏が消してくれた。何度も何度も、優しい言葉をくれた。少し元気が戻った。

徐々に死ぬ気が薄れて来て、元気になろうと思い大好きな中村一義の「ここにいる」と「ジュビリー」と「永遠なるもの」を掛けた。

うん。「まだ大きな無限大がみんなを待ってる」のかもなぁ。「君ん中に溢れ出す決して消えない場所」や「決して消えないサイン」があるのかもなぁ。
そんな事を考えているうちに「まだ生きてみよう」と考え始め元気になった。

彼氏が「軽くドライブに行こう」と言うので河川敷に連れて行って貰った。
私は河のすぐ近く迄走って行って、「見てなよ、見てなよ!」と言ってずっと前の彼氏から貰ったペアリングを河に投げた。

どうせ処分しようと思っていたものだ。今日が丁度良い機会だ。過去との決別の儀式だ。すっきりした。

明日もお祭りはやっているので、明日改めて行こうという事になった。



さようなら。

世界、じゃなくて私の過去。


よろしくね。

これから起こる何かと、出会う人達。
そしてこれからもこんな私を見守ってくれる人達。
非通知の知らない人からの電話で目が覚めた。
以前睡眠薬で記憶が飛んでいる時に何処かの掲示板に番号を晒したらしく、最近そういった電話が頻繁に掛かって来る。
昨夜というか今日眠りに就いたのがかなり遅かったのに、10時過ぎにそんなどうでもいいもので起こされたから半切れ状態である。

「まず、お前は誰だ。名を名乗れ。普通初めて電話を掛ける時には自分から名乗るもんだろ?そして、非通知で掛けるな。あと、祝祭日で人が眠っているかも知れないような時間帯にいきなり掛けんじゃねぇ」等と言ってやった。
たまにネットで暇潰しにナンパ目的の男をからかっているうちに、実生活でもこういった下心見え見えの男に対しては平気で汚い言葉を吐けるようになってしまった。

更に便乗して、相手が下の名前だけ名乗ったのだが「はは。それ本名かよ。ださっ。HNねぇのかよ。あんたテレクラか何かと勘違いしてんじゃないの?」等とからかってやった。
どうせ一旦起きてしまえば再び眠れる事は無いだろう。こんな時はとことんからかって遊んで、相手に無駄な通話料を使わせてやるに限る。

隣で寝ていたKも私の話し声で起きたらしく、「近くに誰か居る?」と電話の相手に聞かれたので「友達居る」と言った。Kも大体会話の内容から事情を察したらしく、「俺が代わる」と言ってくれて代わって貰ったら、すぐ切れた。やはりエロ話目的だったのだろう。

親から電話が来て、おおよその到着時刻が判った。今日は親と合流して絵が好きな母と一緒にゴッホ展に行く予定だったのだ。
睡眠薬を失くしたので保険証を持って来て欲しいと告げた。公費負担が効かないのでかなり金額が掛かってしまうので親は相当怒っていた。

電話帳で祝祭日もやっていそうな病院を探す。よく判らなかったので適当に総合病院に掛けて緊急指定病院を聞く。メモを取った。これで多少親に負担は掛けてしまうが一安心だ。

親と落ち合う時間迄余裕を持って荷物をまとめたり出掛ける準備をする。Kが私に「もっとまったりしてけ」「プリクラ撮れなかったから写真を撮ろう」等と言うので少し語り合ったり写真を撮ったりした。
後で見るとKがさりげなく私の肩に手を回していやがった。「コラ、何してんだって!彼氏が潰しに来るよ。私を抱き締められるのはI(彼氏)だけ〜!」等と釘を刺しておくと、「望むところだ!喧嘩なら負ける気は無い」と言う。
私の彼氏は27歳で、年齢的にも性格的にもとても積極的に喧嘩するようなタイプには見えない。その代わり言葉の暴力なら負けなさそうだ。そんな話をするとKは「今度電話で話してやる」と言う。後で彼氏にそんな話をすると笑って「こっちこそ望むところだ」みたいな事を言っていた。二人が直接話す機会が出来たら面白い事になりそうだ。

化粧をしている時、また非通知で電話が掛かって来た。例の如く、まず「名乗れ」「非通知で掛けんな」の二言を言ってやった。今度のはかなりストレートで、いきなり「一発やらせてよ」等とほざくので、「蹴り飛ばすぞお前」「○○ぶっ潰すぞ」等と女とは思えない程汚い言葉で丁寧に応対して差し上げた。相手は「うるせぇ、ブサイクの癖に」と捨て台詞を吐いて電話は切れた。

あはは。有難う有難う、誉め言葉を。
そして想像力が大変豊かな様でとても羨ましいわ。誰だか知らないけど、貴方に顔画像なんて晒した覚えは全く無くってよ。
それに彼氏さえ可愛いと言ってくれれば貴方の想像の中でどんなにブサイクになっても一向に構わなくってよ。あはは。そうやってどんどん想像力を豊かにしていけるなんて素敵ね!きっと想像上の彼女はさぞかし可愛い事なんでしょうね!!
・・・性格悪、私。
なんか書いてて自己嫌悪。

でも間違った事してませんよ、ねぇ?私。
って自己肯定自己肯定。
私こそ蹴り飛ばされるべきだね!!あはは。今やっと気付いた。


Kが荷物持ちを手伝ってくれて、無事親と合流する事が出来た。Kにお礼を言って、泊めてくれたSくんは不在だったのでお礼のメールを入れておいて、ゴッホ展に行った。時間の都合上病院には行けなくなってしまった。

本物のゴッホの絵を見る機会などもう一生来ないだろうから、会場は混んでいたが人並みを掻き分けてじっくりと一枚一枚近付いて見た。
やはり本物は凄い。見覚えのある絵も何枚か有ったが、画集やTVの「日曜美術館」「美の巨人たち」なんかで見るのとは大違いだ。
ポストカードやコピーの薄っぺらい絵等のグッズを売っているコーナーも有ったが、「なんて綺麗なんだろう」と感じたものが、「こんなにチャチな絵だったっけ?」とがっかりしてしまった。

でも結局ポストカードを3枚買ってしまった。
「花咲くアーモンドの木」と「花瓶の花」と「糸杉」。代表作や有名作品がやはり人気だったが、私は正直言ってゴッホの代表作と言われるような絵に好きなものは殆ど無い。実は私は、親が絵画好きなのに典型的な油絵には昔からそれ程興味が無いのだ。特に油彩の人物画で気に入るものは滅多に無い。私の買ったポストカードはどれもぱっと見て目立つようなものではない。やはり有名な作品のグッズを買っている人が多かったが、私が選んだのはどれもそれ程目立たない渋目のものばかりだ。本当は「花咲く桃の木:モーヴの思い出」というジャポニズムの影響を受けていると思われる作品のものが欲しかったのだが、生憎売り切れてしまっていた。
他にトロワイヨンの「羊」という作品も気に入ったのだが、こちらはカード自体無かった。

古典的な油彩よりも寧ろオブジェや現代美術に興味の有る私は、近代美術館を出るといたる所に有る風力で動くオブジェの写真を撮るのに夢中になった。母にも、木の下でポーズや目線にまで文句を付けてモデルになって貰って写真を撮った。時間の有る時にレタッチしてアーティスティックに仕上げてプリントしてあげようと思う。

植物園にも寄ろうとしたが閉まっていたので、代わりに、吉野屋で牛丼を食べてから藻岩山に行った。山頂に近付くにつれて霧が酷くなり、風景なんてちっとも見えなかった。でも霧に霞む展望台の鉄塔や風速計(?)の写真を撮った。
私はきっと、人工的なものが好きなんだ。

ありのままが嫌いなんだ。

つくりものがいいんだ。

私もつくりものかもしれないんだ。

「自分探し」とか「本当の自分」とか嫌いだし、探してもそんなもん何処にも無いよ、って。

ゴッホの、「悲しむ老人」という作品の横のパネルに、「作品に思想を込めるのは画家の義務である」なんて言葉があった。

そうなんですか?ゴッホさん。いや、判らない事は無いけどね。私が写真撮ったり小説やエッセイや詞や曲書くのも、全て思想有るが故、だもんね。思想が入っていなければアートじゃなくてデザインになっちゃうもんね。

そういえば私に初めて「アート」と「デザイン」の違いを教えてくれたデザイナーさんが居た。
アートは、極端な話自分さえ満足すれば良い。
デザインは、最大公約数に受けなければならない。

文学で言うと、純文学と大衆文学の違いのようなものだと私は理解している。

でも、思想ばかりやたらめったらに込められると疲れちゃうよ、ねぇ、ゴッホさん。
たまには思想のかけらもない糞なものがたまらなくいとおしくなるのよ。

それが、「デザイン」の需要へと繋がるのかしら。
じゃあ、私ってば自己満の塊だからアーティスト?あはは。まさかね。

ただいま。

濃密旅行記第二部

2002年7月19日
札幌の友達MとKと遊ぶ予定が有り、昨夜二人に連絡したのたがKは既に寝ていたらしく集合時刻がまだ未定だったので、MがKに連絡が取れ次第早目に集合時刻を教えるとの事だったので目覚ましを11時にセットしておいた。

今日の明け方4時頃迄一緒に札幌に来たAちゃんと遊んでいたので、睡眠時間を考えるとそれ位で丁度良いと思っていたのだが、Aちゃんは不眠症な上に急いで準備をしてきた為に睡眠薬を忘れていたし、私も睡眠薬は持って来ていたが寝る前についついネットしてしまったりして、結局二人共眠りに就いたのは朝の8時近かったように思う。

携帯の目覚ましかMからのメールか何かで昼頃には起きた。
Aちゃんは今日帰って仕事をしないといけないので、起きてもののたたぬうちに帰路に着いた。泊めて貰っている家の主の友人である男友達K、私の二人で着の身着のままで駅まで送って行った。
帰りに、昨日買い物をし過ぎた所為で現金が少なくなっていたのでKに付き合って貰ってお金を下ろして来た。

Aちゃんは急いでいた所為かベストを忘れていってしまった。私の鞄に詰めたので後日会った時に返そうと思う。

戻ってゆっくりと外出の準備をしつつ、デジカメでKの動画を無理矢理撮ったりして遊んだ。

私は方向音痴で待ち合わせ場所迄辿り着くのに時間が掛かりそうだったので、早目に出発してKに道案内も兼ねて買い物に付き合って貰った。

ところが買ったサンダルが足にまだ馴染んでいなかった所為かまたは昨日の登山の所為か、靴擦れを起こしていて履いて歩いているだけで足が痛くてたまらなかった。

Kが心配して絆創膏を買ってくれた。MやKと落ち合う間に待ち合わせ場所で足の薬指に貼った。Kはなんだかんだ言っていい奴だと思う。

結局待ち合わせ時刻から1時間程経ってから二人と久々の再会を果たした。取り敢えず二人の写真を撮った。
それから、まずは私のペンダントトップに露店で名前を入れて貰うのに付き合って貰った。
表には「coco」、裏には「All or nothing」と入れて貰った。自分のHNと半休止中のHPタイトルでもある私の性格を表す言葉。嗚呼自己満自己満。

その後、カラオケに行く。丁度花火大会をやっていたので少しだけ花火が見えた。ちょっと得した気分になった。

カラオケは混んでいて、40分位待たされた。ようやく呼ばれたが二人共終電の時間の都合もあり、3時間歌う予定だったのを2時間にした。

沢山歌って、沢山写真を撮って、私はデジカメで動画も撮った。動画は音声も入るのでカラオケに向いていると気付いた。

終了時間になると、二人共終電で帰って行った。写真は後程プリントして送ると伝えておいた。
私が泊めて貰っている場所は街中に程近い所なので歩いて帰れる。帰りにまたドンキホーテでシルバーのブレスレットと赤い小さな可愛いアコギを買った。

私の帰りが遅いので心配したのかKが電話を掛けてきて、迎えに来てくれるという。待っている間、座って路上ミュージシャンの歌を聞いていた。

Kが来てくれて、帰ったら疲れているしすぐに眠ろうと思っていたが、私が明日帰ってしまうのだからビリヤードに行こうだのボウリングに行こうだの映画を見ようだのと誘って来たが、体力と気力の限界が近かったのでやめた。Kも昨日は全く寝ていないのだ。

途中コンビニで酒を買って来て、眠る前に二人で飲みつつ語り合った。
Kは私を妹にしたいと言い出した。彼氏と顔を合わせるような事が有ったら「うちの妹を宜しく頼む」みたいな事を言うとか何とか言っていた。

私が18、Kがもうすぐ20、私の彼氏が27。
いやこれ、おかしいですよ、ねぇ?
何か違ってますよねぇ?
Kと彼氏の歳が逆ならまだ判らなくも無いんだけど。

少しだけネットして、いざ眠ろうと鞄を開けて睡眠薬の袋を探してみたところ、無い。

どうしようどうしようどうしよう。
焦った。半ばパニックになって心神喪失状態になった。
カラオケで少し飲んだので歌本の下あたりに置いて来たのかも知れない。でもこれからまた歩いて探しに行く体力も気力も無かった。

Kに遅い時間迄開いている薬局を聞いて市販の弱い睡眠薬を買って来て急場を凌ごうと思った。
でも、心神喪失状態の私を見兼ねてか、Kが探して買って来てくれると言う。わざわざ色々回って、カラオケにも探しに行ってくれた。

待っている間私は一人で不安で、どうしたら良いかも判らず取り敢えず落ち着こうと思って煙草を吸った。それから、ウォークマンで大好きな中村一義のMDを聞いて、布団に潜っていた。
いつの間にか、眠っていたらしい。
ここ数日きちんと睡眠を摂っていなかったので、かろうじて自然に眠れたのだろう。


でも、疲れる夢を沢山見た。
夢を見たのは久しぶりだった。
眠っている時に見る夢なんてものは、見ると疲れるだけだ。

内容は覚えていない。でも、眠っているのか起きているのかよく判らないような、後味の悪い睡眠だった。

濃密旅行記第一部

2002年7月18日
朝食が朝7時〜8時半迄だったので、7時に目覚ましを掛けた。
が、起きれなかった。彼氏が起こしてくれなければチェックアウトの時間を過ぎて延滞料金を取られていたところだ。

早速朝食を食べに行く。が、私も彼氏も基本的に朝食は食べないし、昨日の夕食があまりに豪華でお腹が空いていなかった上、ちらっとバイキングの内容を見てみるとそれほど美味しそうなものが無かったので、結局そのまま部屋に引き返してチェックアウトの準備を始めた。

私の化粧が長いのでチェックアウトしたのはぎりぎりの時間だった。

前日から話し合っていた軽登山コースと敷島の滝コースのどちらかに行こうとしていたのだが、軽登山の方はちらっとコースを覗いてみてきつそうだったので却下した。

引きこもりカップルにとっては「軽登山」も「重登山」である。

そんな訳で滝へ向かったが、こちらも充分「軽登山」に匹敵するような悪路で、前日雨が降った所為かところどころドロドロで靴がぐちゃぐちゃに汚れてしまった。

運動神経の鈍い私は何度も滑りそうになったり、転びそうになったり、実際一度滑って転げ落ちた。

滝は想像していたより人工的で風情も迫力も少なかったが、「やっと着いた」という達成感で何だか妙に嬉しかった。
水が綺麗だったので靴のまま川に入ってジャブジャブ靴と足を洗った。

今日も写真を撮った。
滝の写真、彼氏の写真、私の写真。

車を泊めてあった場所迄引き返して、いざ札幌へ。
と思ったが、スカートが汚れていたので軽く洗いたかったし、忘れ物が有ったし、みやげ屋で買った温泉まんじゅうが余計な荷物になるのでこっそりと一旦家に引き返した。

諸々の準備を済ませ、駅の近く迄送って貰った。
気になるCDが有ったので買っていこうと思ったのだが、どこの店をあたっても無い。
仕方無く取り寄せする事にした。

ついでに中村一義のニューシングルの予約も済ませておいた。何せ初回版にはCDエクストラが付くのだ。

3時に駅でAちゃん(一緒に札幌に行く友達)と待ち合わせをしていたのだが、CD屋巡りをしたり急に雨は降り出すわで、少し遅れてしまった。
3時半発のJRで出発した。

5時半に友人Kと地下鉄の駅の改札付近で待ち合わせをして、泊めて貰うKの友達Sくんの家へと向かう。

何だかKやらSくんやらSくんの妹やらその彼氏やら人がやたらと居て、着いた時には私達含め総計7人程になっていた。

Aちゃんとカラオケに行った。途中で新しく出来たドンキホーテで買い物をしたり、路上アーティストの歌を聞いたりしていたので帰って来た頃には明け方の4時を回っていた。

路上で歌っている人で、どうやらオリジナルらしい気になる歌を弾き語りしている人がいたので声を掛けてみた。

話をしているうちに私が中村一義が好きだと言うと、彼も中村一義が好きなようで何曲もやってくれた。
ジュディマリを弾いてくれて私が歌を合わせたり、手帳に書いてあった私の稚拙なオリジナル曲も上手に弾きこなしてくれて、初めて路上で人と合わせながらオリジナル曲を歌った。

HPのURL入りの名刺のようなものも貰ったので、BBSに書き込みをしておいた。

帰ってもAちゃんは睡眠薬を忘れたらしくなかなか眠れず、私も少しネットしているうちについつい余計なページまで見てしまったりして、結局眠りに就いたのは朝の7時を回っていた。

ネットしているうちに睡眠薬の効果も薄れてしまい何だか眠れそうもなかったので、睡眠薬を半分に割ってその半分だけを追加して飲み、CoccoのMDをウォークマンで聞いているうちにいつの間にか眠っていた。
Coccoはバンドを組める事になったら主にコピーする事になりそうなので曲を覚えておく必要が有ったのだ。


たくさん、たくさん色んな事があった。

たくさん歩いて、たくさん買い物して、たくさん歌った。

とても疲れた。

でも、とても濃密な時間を過ごした。

濃密な時間は時として必要なもの
                かも知れない。

まただ。またやってしまった。
何がというと、いつもの如く大寝坊。
彼氏と温泉に行く予定で昼の1時に迎えに来てくれるとの事だったのだが、彼氏の「着いたよ」コールで起きた。

まずい。非常にまずい。

昨夜のうちに荷造りを済ませておき、今日は早目に起きて入浴や着替え、化粧等を済ませておこうと思っていたのだが、前日沢山歌を歌って疲れた所為か、結局荷造りは今朝起きたらさっさと片付けて準備万端にしておこうと考え眠ってしまったのだ。

ごめんなさいごめんなさい。潰して良いです。

ある程度諸々の準備を済ませ、親に見付からぬ様靴を部屋に隠して貰って、彼氏に家にこっそりと入って貰う。

親には「17日から友達と札幌に行って来る」と嘘をついてあったのだ。
札幌に行くのは事実だが、実際は18日に友達と待ち合わせしてから20日迄友達の友達の家に泊めて貰い、20日に母親がゴッホ展を見たいと言うので札幌へ来るので、20日には母と合流する予定だ。

私はまだ入浴・着替え・化粧等を済ませていなかったので、その間彼氏に私の部屋で待っていて貰った。

結局私が寝坊した所為で、4時にチェックインの予定だったのだが6時に変更して貰って、天人峡温泉に直行した。
車中で、今度バンドのボーカルをやらせて貰える事になりそうなのでCoccoの歌を歌詞カードのコピー片手に、歌いながら覚えようとした。
が、昨日かなり歌った所為か声がどうもかすれている。
無理は禁物だと思い途中で歌うのはやめて、MDを流しながら曲だけ頭に入れるようにした。

彼氏に私の過去の嫌な思い出も話した。
詳細はそのうち書くかも知れないが、今詳述する気分にはなれない。

チェックイン迄時間に少し余裕が有ったので、二人で羽衣の滝を見て来た。
平日の所為か滝に至るコースには私達以外殆ど人が居なかった。二人でバカ話をしながら歩いた。

羽衣の滝に着くと、二人でカメラを交代して一人ずつ看板の前で写真を撮った。
撮影には全て私のデジカメを使った。彼氏のデジカメの方が高価で高画質なのだが、彼氏がうっかりスマートメディアを入れ忘れて来てしまったのだ。

そんな時運良く人が来て、二人で写真を撮って貰えた。

ホテルに戻り、チェックインを済ませ部屋に通される。
「いかにも温泉」という風情の部屋だった。

そして、まずお決まり通りそれぞれ入浴する。
平日の為か誰も中に居なかった。貸し切り状態である。
肌荒れの酷い私は鉱泉水に美肌効果があるような気がして顔にバシャバシャと温泉のお湯を掛けまくった。

部屋に戻ると夕食が用意されていた。
びっくりする程豪華だった。
焼肉、海産物、天ぷら、茶碗蒸し、焼き鮭、蟹、メロン等々。
とても全部は食べ切れなかったが、こんな贅沢な食事をしたのは久しぶりだ。

しかもビールまで飲んでいた所為か、私も彼氏も満腹で苦しくなった。

2時頃眠った。と言っても私はなかなか眠れず、ウォークマンで音楽を聴いていたりした。

いつの間にか眠っていた。


すいみんやくとビールをのんでねたので、おきるまで、いつねむったか、いつビールをこぼしたのか、おぼえてない。

怠慢怠慢怠惰怠惰

2002年7月16日
きょうはたくさんかけません。

つかれたのです。

うたをうたってきました。

たくさん、たくさん。

ドラムの人にうたをきいてもらうためです。

ボーカル合格です。

びっくりです。

あたらしいことがはじまるときはワクワクします。

薬中ヒッキー系歌姫誕生かもしれません。

・・・自己満の塊な私を絞めてやってください。
あしたは彼氏と温泉に1泊、18〜20は友達と札幌に行ってきます。

PCはもっていくのでAir-H"の電波がとどくかぎり更新はつづけるつもりす。
・・・本当は裏事情が有るの気になる人だけ裏見て。裏のゆあるえるは昨日の日記に有。


cocoはcocoであって常に此処に居ますそれが何処であっても。


This is a verry boring joke.
またしても、オークション熱が上がってしまったようだ。

以前ヤフオクが無料だった頃は、落札・出品共にかなり頻繁にやっていたのだが、有料化してからは手を引いていたのだ。

ところが、以前中村一義のCDを中古で探していた際に、ダメ元でビッダーズのオークションで探してみたところ、信じられない位安価で入手出来たのである。
当時は他の商品には目もくれなかったのだが、先日何気なく再びビッダーズを覗いてみて試しに大好きなマジェスティックレゴンの服を探してみたところ、かなりの数の出品があった。

終了期限の近いもので気に入った商品が無かったので気になっている商品はMYリストに登録して終了間際に落札しようと考えている。

また、アズノウアズの服も少し気になっていたので検索してみたところやはりこちらもかなりの数の出品があり、安価で可愛いカットソーが終了期限間近だったので誰も入札していなかったのをいいことにまんまと落札してしまった。

もう一つアズノウアズのTシャツで、これまた安価で気に入ったものがあったので、こちらは昨晩出掛けていたので自動入札をかけておき、帰って来てみると落札できていた。

ビッダーズを色々見て廻っているうちに夜が明けてしまい、結局床に就いたのは午前中だった。

今日は診察日でもあったしデイケアにもなるべく顔を出さないといけないので2、3時間程仮眠を摂ってから病院に行くつもりだったのだが、携帯とオーディオで目覚ましを掛けていたにも関わらず全く気付かず、起きたら昼の3時頃だった。

デイケアの終了時間は4時だ。私は基本的に毎日デイケアに通う事にしていて、診察のある日はデイケア中診察に空き時間が有る時に呼んで貰い、診察を受ける事にしている。

しかし、これではとても間に合いそうも無い。病院に電話を入れ、予約の空き時間があるかどうか訊いてみた。4時頃なら可能との事だったので、急ピッチで出掛ける準備を進め、病院に向かった。

が、落札したアズノウアズのカットソーとTシャツの代金・送料・入金先等が書かれたメールを整理してプリントアウトしていたところ意外と時間が掛かってしまい、結局病院に着いたのは4時半を回っていた。

受付嬢のお姉さん達に「ごめんなさい遅れました」と言う。が、彼女達は怒った顔ひとつ見せない。彼女達はいつも優しい。流石精神科の受付嬢だけある。

急な予約だったので待たされるだろうと覚悟していたが、以外にも先生は直ぐにやって来た。

他の患者さんの予約の関係で診察時間がかなり短くなってしまうとの事だったが、私は最近調子が良いし、薬が貰えて先生と話が出来れば充分だったので問題は無かった。
私の主治医の先生は中年の女医さんで、顔を見るだけでも何故か落ち着く。話を聞いて貰えるとなるとなおさらだ。なかなかあそこまでの名医は居ないと思う。

私は処方されている抗鬱剤と長時間型の抗不安剤を夕食後に飲むように言われていたのだが、いつの頃からか起床時に飲むようになってしまった。
これから寝るという時に効果が強く出ても日中人と話したりする時に効果が薄れてしまっていては無意味な気がしたし、何しろ現在固形物を少量しか摂らない上に昼夜逆転の著しい私には「夕食」という概念が無いのだ。

先生にそう告げると、起床時に飲んでも良いという事になった。

「ちゃんと眠れてますか?」という質問に関しては、「眠剤を飲んでいれば何とか眠れてます。でも、不安感の強い日は飲んでも寝る迄に少し時間が掛かっちゃう事もありますが・・・」等と答えておいた。

大嘘だ。
飲まなくてもグッスリ眠れている。最近は調子が良いので不安感等とは殆ど無縁だ。
睡眠薬は昼夜問わず、ダウナーな気分に浸りたい時、テンションを上げたい時、キャラを変えて遊びたい時等に残量には注意しているがバカバカ飲んでいる。

本当ならもっと量を増やして貰いたいところだが、あまり「眠れないので眠剤をもう少し増やして欲しいんですけど・・・」等と言うと怪しまれて減薬されたり薬種を変えられてしまう可能性がある。

私は現在かなりの量の睡眠薬を処方して貰っているので、流石にこれ以上増薬して貰うには余程嘘八百を並べるのがうまくなるように訓練するか、又は本物の重度の不眠症になるかしなければ無理だろう。

現在の薬種もかなり気に入っているので、薬種の変更もなるべく避けたい。上記のような嘘八百を並べておけば、取り敢えず現在の薬量・薬種を変更される事は無い。
狙い通り今週も前回と同じ処方で出して貰う事が出来た。


嗚呼嗚呼ごめんなさいごめんなさい先生の事は大好きですでも、
眠剤が無ければとてもじゃないけど人生やっていけません常にしらふで人とコニュニケートするなんて考えただけで窒息しそうなのです。
・・・上の文章、読まなかったことにして下さい。
痛い。痛すぎる。自分で書いておきながら。
「私生きていくのが辛くて死にたくてどうしようもないんです〜リスカせずにはいられないんです〜こーんなに○○とか○○とか薬飲んでるんです〜誰か助けて〜」とかのたまいやがる、構ってちゃんメンヘルっ子と同じ奴等に分類されてしまいそうですよ、ねぇ?え?私既に充分ソッチ系のお仲間だって?あはは。

・・・願わくば絞めてやって下さい。


受付嬢のお姉さん達の写真を撮ってあげようと新しいデジカメを取り出したが、うっかり充電するのを忘れていて撮れなかった。
「いや〜前のやつ無くしちゃったんですよねー。まぁどうせ3万位だったし、前のは古くて画素数も少なかったから近々買い換えようとは思ってたから丁度言良いと言っちゃあ丁度良かったんですけどね〜」みたいな話をしていたら、「ひょっとしてこれ?」とお姉さんが取り出したのは、なんと私が無くしたデジカメだった。
まさか見付かるとは思っていなかった。

勿論見付かって嬉しくない訳は無いが、何せ今の新しいカメラの方が画素数も高いし、機能も充実しているし、読み込みの早さが格段に違うしデザインも良い。
古い方のデジカメは貴重品を持ち歩きたくない時等、あくまでもスペアとして使おうかと考えている。

清算を済ませて処方箋を受け取り、向かいのT薬局に薬を受け取りに行く。
T薬局はデイケアメンバーの溜まり場と化している。
特に用事が無くても、デイケア終了後等に煙草を吸いながらジュースを飲んで、T薬局のおじちゃん・おばちゃん達も交えていつも皆で雑談したりしている。
T薬局の薬剤師さん達は長居しても全く嫌な顔一つせず、とても優しい。

案の定、T薬局にデイケアメンバーのYちゃんという気のいいおっちゃんと、Tちゃんという女の子が居た。私も暫く雑談してから薬を受け取り、オークションで落札したものの代金を入金する為に郵便局へと向かった。

帰ってから出品者に入金が済んだとのメールを送った。


バンドの件だが、ベースがほぼ決定していたのだが諸々の理由から彼は降りる事になってしまった。
しかし今度はドラムが決まりそうだ。
明日カラオケに行って私がボーカルとしてやっていけそうか実際に歌を聞いて貰う予定だ。
『裏・状況が裂いた日々』
URLは多分これ。
http://itokio.com/cgi-bin/ibo4/iboi.cgi?mode=tp&;digest=1&page=1&file=20020716011717

見たら私が嫌いになるよ。
私以上に。
え?もう既に嫌いだって?あはは。

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