目覚めると、そこは別世界だった。
なにも妄言を吐いている訳ではない。急に抑鬱状態に陥っていたのだ。

「鬱」の世界というものは、それこそ別世界と呼ぶにふさわしい。
よく抑鬱状態時の思考パターンの事を「思考の色メガネ」と形容したりするが、まさに思念に何かぼんやりとした感じで着色されたように感ぜられるのだ。自室や、窓から見える風景、そして自分という存在そのものに関しても。

もっとも私の場合、ここ最近慢性的に無気力感の強い抑鬱状態にあったので、色メガネというより思考に靄がかかった状態と表現した方が適切であろうか。

昨日は帰りに少しばかり彼氏の家にも寄り、あんなに楽しい時間を過ごした筈だったのに何故だろう。
生活に急激な変化があった訳でもないし、疲労困憊している訳でもない。なのに目覚めると、突如として「鬱」という不可解な世界に放り込まれていたのだ。こんなに突如として重度の抑鬱状態に陥ったのは初めてかも知れない。

私は元来アレルギー体質で、アトピー等アレルギー系の病気の殆どを患っているのだが、ごく軽い喘息持ちでもある。現在はほんの少し息苦しくなる程度まで症状は軽くなっているが。

ここ数日間、軽度ではあるが発作の頻度が増しているとは感じていた。その発作が、こともあろうに昨日彼の家で出てしまったのだ。しかも数ヶ月ぶりの重めの発作だ。

苦しそうな私を見て、彼が心配して早目に家まで送ってくれた。帰宅後すぐに吸入を済ませると、発作は一応の落ち着きをみせた。

どうも私の場合、精神的に不安定になるとアレルギーも悪化するらしく、自分ではさほど不安定な状態であるとは考えていなかったのだが、どうやら無邪気に彼氏と遊んだりしていてもどこか心にわだかまりがあったようだ。その「わだかまり」とは何であるのかと問われれば、私自身理解に苦しむのだが。

今日は診察日であり、私は公費負担制度を受けているのでその更新日でもあった。薬も丁度飲み終えてしまったものが大半だ。何としてでも病院には行かなければならない。

しかし、何もする気力が起きないのだ。身体を動かすだけでも億劫に感じてしまう。私の中の「魂」の部分を、何処かに置き忘れたような状態だった。

取り敢えず、病院には行かなくては。
しかし、我が家と病院との距離は時間に換算すると自転車で10分掛かるか掛からないかといった程度のものなのに、それすら遠い道のりに感ぜられてしまう。
今日は自転車をこげない、ましてや歩く事なんて出来ない。自分の精神状態と身体に訊くと、そんな返答が返って来た。

本当は嫌だったが、父に送って貰うしかないと思った。しかし父はまだ仕事で忙しい時間帯だったし、どうせまた嫌な顔をして「アッシー君じゃないんだ」などと言うだろう事は容易に想像がついた。

どうしよう、何をしたらいいんだろう、何が出来るんだろう、何かしなくては。

ぼんやりした頭でぐるぐると思考をめぐらせていると、無性に誰かに救いを求めたくなった。誰かの声が、聞きたくなった。

…彼氏に、電話しよう。

母もまだ仕事が残っていて忙しいだろうし、職場の電話でゆっくり話す事なんて出来そうもない。
それに、私は思った事を書き留めておく時は、書く前に他者に多くを話してしまうと文章に変換する作業がないがしろになってしまうのだ。最近はこの日記に多くの日常記録・思考の痕跡をしたためているので、母と内面的な深い話をする事もめっきり減ってしまった。なので母は、私が先日自殺未遂をしでかそうとした事ですら知らない。今、母に全てを話す気力は無い。

…彼なら、親身になって話を聞いてくれるかも知れない。

彼はこの日記もおおよそ読んでいる筈だ。それに彼には、母に話していない事も沢山話している。そして何より、無性に彼の声が聞きたくなった。

彼に電話を掛けた。

「…あのね、さっき、起きたんだ。そしたら、すっごく、鬱だったの。…なんでか判んないんだけど、鬱だったの。…それだけなんだけどね。…こんな事で電話しちゃってごめんね」

彼は親身になって話を聞いてくれた。そして優しい言葉を掛けてくれた。更に、病院まで送ってくれるという。
数十分も経たぬうちに、彼はうちの前まで来てくれた。更に、「待合室まで付き添って欲しい」という私の我儘まで聞いてくれた。

診察を受け、先生にじっくりと話を聞いて貰う。
初めは何から話して良いのか判らずにオロオロしていたが、取り敢えず、今日起きたら何故か急激に抑鬱状態に入っていた事から少しずつ話し始めた。そして先日の自殺未遂の事も話した。他にも生活リズムが上手く整えられない事や、彼氏に迷惑ばかり掛けてしまっていて自己嫌悪に陥る事、更には最近少し食欲が戻って来て、固形物も摂る事が多くなって来たので体重が1?増えてしまい、少しショックを受けている事などを話した。自殺未遂の件は、睡眠薬とアルコールによる自殺を図った事を話してしまうと睡眠薬の量を減らされてしまう可能性があるという考えから、あくまで自殺を図ろうとしたという事だけ話した。
半ば睡眠薬依存症状態で、昼夜問わず飲んだりスニッフ(粉状にして鼻から吸う事)している私にとって減薬や薬種変更・処方ストップは致命的だ。逆に精神的にまいってしまいそうだ。
この日記も、ビールと睡眠薬を飲み、一錠だけスニッフして書いている。以前にも書いたが、私は睡眠薬が無くともおおよその場合、眠りは浅いが殆ど問題無く眠れてしまうのだ。「眠れない」と訴え続けて現在ではかなりの量の睡眠薬を処方して貰っているが、まったく嘘八百もいいところだ。先生には申し訳なく思うが、何せ睡眠薬を飲むと邪魔な理性が軽く飛び、ネットをしていても面白いし、文章もすんなりと出て来るのだ。

先生はそんな私にも事細かにアドバイスをくれた。
抗鬱剤を、今までは一日2錠ずつ飲むように処方されていたものが一日4錠に倍量した。
またしても診察室で泣いてしまった。

私の主治医は中年の女性で、今までかかった精神科医の中で最も付き合いが長く、最も良い先生だと思っている。通常、精神科の診察といえども10分〜15分程度で終わるのが普通だが、この先生は予約が立て込んでいない限り最長1時間程も相談に乗ってくれるという半ばカウンセラーのような先生だ。

最近の日記の一部をプリントアウトして持って来れば良かったかも知れない、と思った。思っている事を瞬時に言葉で表すという行為は真意を汲み取って貰いにくい。私は自己の内面にある思念を言語化するのに、「熟成」させる時間が必要なのだ。
今日のように重度の抑鬱状態でない限り基本的に人と話をしたりメッセンジャーやチャットしたりするのは好きだが、こうして思考の痕跡を整理する為の文章などとそれらとは、決定的な違いがあるのだ。

話し言葉やチャットのログは、そのまま時間と共に流れていってしまう。そして己の思念や身の周りの出来事を話し言葉で表すと、その話した内容が知らず知らずのうちに記憶されてしまい、のちに文章として表す時に、話した内容の焼きまわしみたいな雰囲気になってしまう事があるのだ。

話し言葉は一時的なものだ。それを書き言葉に持ち込んでしまうと、ラジオの脚本みたいになってしまう。
いや、それは決して悪いことでも何でもない。寧ろ、「人に見せる為の文章」としてはそちらの方が一般的であろう。

しかし私は、話し言葉である程度まとまった文章を書く事に対して躊躇いを感じざるを得ない。

それは何故かというと、話し言葉は一時的なものなので、後程読み返した際に当時何をしていたのか、何を考えていたのかという事が判りづらくなってしまうからだ。

私は恐らく、忘れるのが恐いのだ。だから、書く。

他にも書く理由は自己表現欲求の充足など色々あるのだが、正直言ってしまうと、もっと大きく、かつマヌケな理由がある。

面倒臭いのだ、何度も同じ事を多数の人に話すのが。

書く方が面倒じゃないか、とご指摘を受けてしまいそうだが、実際細密に私がどんな体験をし、何を考えたか口で説明する方が難易度が高いのではなかろうか。
話すという事は、話す相手が居る訳だから、こちらばかり一方的に延々と話す訳にもいかない。
一応遠い夢は文筆業だ。書く事は苦痛ではない。

だから私はよく旧知の友人や初対面の人に会った場合、こちらの「過去」に関することがらを訊ねられたりすると、「あー、その辺は図書館に私の本あるから時間ある時にでもそっち見た方が早いわ」「ま、詳しくは日記読んで」などと言ったりしている。診察室に自分の書いたものを持ち込む事もしばしばある。


で、診察が終わろうとしたその時、ちょうど公費負担制度書類更新の為に先生に診断書を書いて貰わなければならなかったので、何気なく
「私って何の病気なんでしょうか?」
と訊いてみた。
先生は少し考え込んでから、抑鬱状態や神経症、睡眠障害、気分障害、それに少し躁鬱の気もあるという意味の事を言った。

はっきりと病名を言われたのは初めてだったので、逆に何だかすっきりした。

その後薬局へ行き、更に喘息の吸入スプレーが無くなりかけていたので彼に内科まで送って貰ったりして、今日は彼に病院のハシゴに付き合せてしまってすまなかったなぁ、と思っている。

本当はまだまだ書きたい事があるのだが、またしても文字数オーバーだ。どうも最近長文傾向が強まって来ていて困る。
星を見るのは好きだ。以前はよく、自室の窓から蓄光式の星座盤や双眼鏡、赤いセロファンを貼った懐中電灯を小脇に抱えて、毎日のように星空を眺めていた。

我が家は地方都市といえどもかなり街中な方なので、さほど沢山の星が見える訳ではないのだが、それでも光度等級の大きな星なら見える。それに星を見るという行為は、精神的にも新鮮な気持ちに立ち返らせてくれるし、何よりそれが恒常化してしまうと自分でもだんだん星に詳しくなっていくのが実感出来、なかなか面白いのだ。

双眼鏡はごくベーシックなものだし、星座盤に至っては小学生の頃に理科の教材として配布されたものをそのまま保存してあっただけのものだ。それほど天体に詳しい訳でもない。でも、星を見るという事は私にとってなかなか興味をそそる行為ではある。もっとも、最近は以前のように頻繁に星空を眺める事もめっきり減ってしまったが。

懐中電灯に赤いセロファンを貼るのは、懐中電灯のじかの灯りだと眩しすぎて眼が光に慣れてしまい、星が見えづらくなるからだ。この知識は何かの本で得たものだと思うが、何の本だったかは記憶に無い。詳しい資料を持たないので私自身細密に解説するのに苦しむが、赤色の光というのは光の中で一番波長が長いのだ。逆に一番波長の短いのが紫色の光で、光というのはそもそも電磁波の一種であるから、その電磁波のうち可視光線、すなわち人間の目で見える光である。その中で一番波長が長いのが赤色、一番波長が短いのが紫色という事だ。
赤外線とは赤色より波長が長く人間の目には見えない光の事で、赤外線よりもっと波長が長いのが遠赤外線だ。遠赤外線は波長が長いので遠くまで届き、もともと電磁波の一種であるからして、これを利用した炊飯器でご飯がおいしく炊けたりするという訳だ。携帯電話がレンタルビデオ店などで出口の防犯ブザーに引っ掛かってあらぬ誤解を受けた経験のある方もいると思うが、あれは携帯から出ている電磁波が同じ電磁波を用いて動作している防犯ブザーに反応してしまった為だ。

そんな訳で、赤色はとかく可視光線の中で一番波長が長いので、どういう訳か感光しにくいのである。だから写真現像用の暗室にも赤色のライトが備え付けられているという訳だ。

余談だが、トンネル内の灯りがオレンジ色なのは、オレンジという色が赤色に近く、遠くまで見通しが効きやすい為だ。何故完全な赤色でないかというと理由は色々あるのだが、主なものとして完全な赤色ではかえって暗過ぎて危険だからという事が挙げられる。あと、赤色は心理的に不安感情を煽る場合が多いので、完全な赤色にしてしまうと不安感から事故に繋がりやすくなるという理由もある。


すっかり理科雑学話になってしまった。本題に入ろう。

今日は彼氏と星空を見に行って来たのだ。
その場所はとかく綺麗に星が見えるらしく、前々から行こうと話していた。

道中は「今日こそ星見日和」と言わんばかりの晴天だった。だんだん街の灯りが遠ざかってゆくに従って、星もちらほらと見えて来た。

到着してみると、まさに満点の星空だった。彼に言わせてみれば今日は月も満月に近いし、まだ8時なので街の灯りがこちらにも届いて来ているので、新月の10時頃に来れば「怖いくらい」星がよく見えるのだそうだ。

それでも普段は街中の星空しか見ない私だ。充分過ぎるほどよく星が見えた。

暫くは二人で虫の声や川のせせらぎをBGMに、星空に見入っていた。やがて星図盤を取り出し、実際の星の位置と照らし合わせてみる。懐中電灯に貼る赤いセロファンをどこかになくしてしまっていたので多少瞳孔の開閉が忙しいことになってしまったが、蓄光式の星座盤は懐中電灯のおかげでちゃんと光ってくれた。

「あ、コンパス忘れちゃった。どっちが東でどっちが西で、どっちが北でどっちが南?」
きょろきょろと夜空を見回す私に、彼が一つの星を指差して教えてくれた。
「あれが、北極星。だからあっちが、北」

彼は星に詳しい。おおよその有名な星座の名前や形、一等星の名前など私なんかよりよっぽど頭に入っている。

星座盤と実際の星々をいちいち照らし合わせて喜んでいると、さっきまであんなに晴れていた空の雲行きがだんだん怪しくなって来た。
西方から風が吹いているようだ。雲も西方からどんどん流れて来る。しまいには星なんて殆ど見えなくなってしまったので、諦めて一旦車の中へ戻って再び晴れるのを待つ事にした。

暫く車の中でとりとめのない話をしたり、音楽を流していたりした。そうしているうちに、どれくらい時間が経っただろう。

「あ、晴れてる!」
私が言った。
気付けば文字通り雲は「雲散霧消」していた。そこにはまた満天の星空が広がっていた。

彼の車は素敵だ。私は車には詳しくないが、彼のFXは車内の色調を彼の好きなブルーで統一してあって、オーディオも凝っている。そしてこの日何より素敵だと思ったのは、サンルーフが付いているという事だ。

車内を見上げるだけでも星は少し見えるが、サンルーフを開けて、二人でそこから上半身を乗り出して飲み物を車の屋根に置き、星座盤を眺めつつ再び星空に見入った。

そうこうしているうちに、一台の車がこちらへと向かって来た。彼によればこの場所は星空を見るにはもってこいの「穴場スポット」らしく、他にも星を見に来る人達がかなりいるらしい。

その車はこちらへ向かおうとしていた様子だったが、サンルーフから思い切り上半身を乗り出している「先客」の我々を見てか、暫く周囲をうろうろしてから引き返していった。

星空は見ず知らずの他人と見るものではない。何か落ち着かないのだ。先程の車の主も同じような事を思ったのだろう。

先に来てしまっていて良かったと思った。そして、殆どお金は掛けていないけれど、なんだか自分達がひどく贅沢をしているような気分になった。
そして、私達がサンルーフから上半身を乗り出して優雅に星空を見ているという事を思うと、先程の車の主に対してほんの少し優越感をおぼえた。

こんな時ぐらい優越感に浸ってもいい。満点の星空を二人占めなんて、ちょっと素敵な響きじゃないか。

また雲行きが怪しくなって来て、いくら待ってもいっこうに天気が回復しそうもないので引き返す事にした。


人間なんてちっぽけな存在だ。広大な宇宙に比べれば小さな点にも及ばないほど限りなく小さな存在だ。
いや、地球ですらほんの小さな点に過ぎない。そのちっぽけな地球で今日も、ちっぽけな人間達がいさかいや争い、殺戮を繰り返し、泣いたり、笑ったり、感動したり、悩んだり、苦しんだりしている。
そして自分達がちっぽけな存在であるとは考えもせず、さも自分には力がある、自己の内面には未だ知れない領域があると信じてやまず、日々「自分探し」にいそしんでいる人々がいる。

何も私はエコロジストやヒューマニストを気取りたい訳ではない。むしろ、理で物事を考えようとしてしまうたちだ。それでも科学的視野から見たって、やはり人間は小さいのだ。

いや、逆に科学的視野から見ると、人間は限りなく大きな存在であるとも言える。生物学的に人間の身体を分子、原子、素粒子レベルのミクロな世界観で見ていくと、そこはまさに広大な宇宙にそっくりだ。

物理学的な面だけではなく、人間の思考、思念、思想、感情といったものはそれこそこの星に暮らす人々それぞれの中に、数字には換算できないほど無数に散在・混在しているのだろう。内面的世界から見ても、人間は限りなく大きい。

人間は限りなく小さく、同時に限りなく大きな存在でもあるのだ。

人間とはどういった存在であるのか。これは哲学の主な探究対象でもあるが、実に曖昧模糊な問いだ。こういった抽象的な問いには、「これだ」という正答は無いに等しい。でも曖昧な問いを立てて曖昧な答を導こうとするのが哲学であり、私にとってはそこが面白く感ぜられたりもするのだ。

だから、人間は「小さいし、大きい」なんて矛盾した答を導いてしまっても構わないと思う。むしろ正答など無いのだから、どちらも正しいという事にしてしまっても良いではないか。

そう考えた方が思考に柔軟性が出て来て、物事を柔軟に捉えられるというものだ。

恋愛や人間関係、その他小さな事でくよくよ悩んでいるのなら、人間なんてちっぽけな存在なのだから、その悩みも苦しみもちっぽけな脳味噌が作り上げた脳内伝達物質の働きによるもので深刻に捉える必要なんて無いんだ、と考えてしまえば気分もラクになる。

逆に、「自分はちっぽけな存在だ、自分一人この世界から消えても世の中何も変わりはしない」と思い悩んでいるのなら、その身体ひとつ取ってみてもそこには無限の宇宙が広がっているんだ、内面世界にだって、数字には換算出来ないほどたくさんの「想い」があるじゃないか、と考えてしまえば良いのだ。

上記の二つの文章は、一見して矛盾しているかのように見える。
いや、実際、矛盾しているのだ。そもそも「文章」や「言葉」なんて単なる伝達手段に過ぎないのだから、矛盾の塊でも、正確に書き手の意図が伝わらなくても、それが当たり前なのだ。
もちろん私の書く文章だって、探せばいくらでも矛盾点が浮き彫りになって来る事うけあいだ。

それを承知の上で、書いている。矛盾を恐れては文章など書けない。

話の方向が幾分かズレてしまったが、この続きは文字数オーバーになってしまうので明日の分の日記に詳述するとしよう。

自殺未遂顛末記

2002年8月25日
自己の内面世界について思いを馳せる時、いつも想うのは、私の中には「自分が大嫌いな自分」と「自分が大好きな自分」が同居しているという事だ。

以前、多少なりとも健康的に学校に通っていた頃などは、「自分が大好き」な方向に偏りがちであったと思う。
しかし高校を休学・退学して本格的に精神科に通い始めるにつれて、どんどん「自分が嫌いだ」と思うようになって来てしまった。

では何故現在、「自分大嫌いな自分」と「自分大好きな自分」が混在しているのか。
私は元来創作活動を得意としており、高校を休学・退学して以来時間に余裕が出来た事もあって、本格的にそれらにのめり込むようになった。そうして書いた文章を人に読んで貰ったり、本を出したり、写真や芸術・音楽活動に興味を持つようになってから、「自分にはひょっとして人並み以上の自己表現能力があるのではないか」というナルシズムが己を支配し始めた。
ところが、高校を辞めるとそこにはやはり、空虚な「恒常的な日曜日」が待っているだけだ。初めのうちはそれまで蓄積されていた自己表現欲求で創作活動にも精を出し、半ば興奮状態でそれらに取り組んでいた。しかし「恒常的な日曜日」が長く続くうちに、家にも引きこもりがちになり、他者とのコミュニケーションも希薄なものとなっていった。そんな状況下で自己表現活動への意欲が湧くはずもない。何しろ「表現したい自己」が薄っぺらなものになってしまったのだから。自己表現への意欲とは、新鮮な体験をして、新鮮な空気を吸って、他者とのコミュニケーションを取って、そうして初めて生まれて来るものなのだ。
空虚な「日曜日」の期間が続くのに比例するかのように、私は抑鬱状態に陥っていった。そして自信を失っていった。私には人並み外れた能力なんて何も無い、私はこのままうだつの上がらぬ高校中退者としてまともな職にもつけず、敗北の人生を送るだけだ。そう考えていた。
精神科で抗鬱剤を処方され、一時的に抑鬱状態から抜け出す事もあったが、逆にそれが単なる「鬱」から「躁鬱」へと私を導いたきっかけとなったようにも思う。以来私は現在に至るまで、抑鬱状態と躁状態のサイクルを繰り返し続けている。

しかし上記の記述には、何故私が「自信喪失」から「自分大嫌い」に至ったのかという経移が無い。「自分大嫌い」になった理由の一つには次のようなものが考えられる。
躁と鬱を繰り返し、しまいには自殺念慮まで出現し、抑鬱状態の時には電話も取らずメールも返さず、何事においてもだらしなく、自分のしたい事に熱中してしまい周りが見えなくなってしまう。調子が悪いと言っては約束事をキャンセルし、睡眠リズムの自己管理が出来ず約束の時間に遅刻してしまう。でも、こんなどうしようもない人間にも懇意にしてくれる人達が居る。関係を断ち切らず、温かく見守って、心配すらしてくれる人達が居る。そんな大切な人達が居る限り、私は彼等・彼女達に迷惑を掛けぬよう努めなければ申し訳が立たない。しかし、気付けばやはり迷惑を掛けてばかりいる。その度に、自分は駄目な人間だと思い、深い自己嫌悪に陥る。そしてそれが顕著な時には、「自殺」という言葉が脳裏をかすめる。

大切にしていきたい、これ以上無いという位大好きな彼氏が出来たという事も、意外にも「自分嫌い」を悪化させる原因となってしまった。嫌われたくない、迷惑を掛けたくない、彼の前ではいつも明るく振る舞っていたい、そんな気持ちが深まるにつれて、逆に迷惑を掛けてしまった時の自己嫌悪がいっそう激しいものとなってしまったのだ。

昨日は彼に大変な迷惑を掛けてしまい、自殺念慮がピークに達し、服薬自殺を図ろうとした。昨日の日記が文脈もへったくれも無く、ただ最後に残す為だけの文章として感情の赴くままに抽象的な表現を多用したものとなっているのはその為だ。昨日の日記を書いた後にも更に多量の睡眠薬を服用し、この世界から消えてしまおうと考えていた。いや、服薬自殺は未遂率が高い事など重々承知だ。単に現実逃避したかっただけなのかも知れない。意識が朦朧とすれば余計な事を考えずに済むし、そのまま眠りに入るだろうから、いわゆる「寝逃げ」をしてしまうのも良いだろうと考えたのだ。

しかし、午後3時頃、私は目覚めてしまった。大量の睡眠薬をアルコールと共に飲んだのでぼんやりとはしていたし、鬱々とした気分は抜けていなかったが、ごく普通に目覚めてしまったのだ。

目覚めて暫くは、この鬱々とした気分のまま何をして良いのか判らず、ただベッドの上で寝転がったり起き上がったりしていた。そして、取り敢えず何かしようという意欲がほんの少し湧いて来たので、ベッドの上に積んであった赤坂真理の本をぱらぱらと斜め読みした。
そうこうしているうちに、彼氏から電話が掛かって来た。彼からの着信時は着メロもイルミネーションの色も変えてあるし、開閉通話も設定している。昨日の事を謝ろうという気持ちもあったのだが、平素から彼からの電話には反射的に出てしまうので、今日も何だか判然としない気分のままではあったが反射的に出てしまった。

昨晩遅く、睡眠薬を多量に服用した後、殆ど意識朦朧とした状態で彼にメールを送っていた。文章は短く、しかも件名や本文も抽象的な表現で差出人名称も変えていたので、ウイルスの類と勘違いされて開かれぬまま削除されるのが関の山だろうと思っていた。それでも良い、どうせ死ぬのだからそんな後味の悪いメールが彼の受信フォルダに残っている方が彼としても気分が悪いだろう、とも考えていた。
ところがメールアドレス自体は変えていなかったので、彼は私からのメールを自動的に私専用のフォルダに振り分ける設定をしていたらしく、ウイルスや「電波女」と勘違いされる事もなく、開いて読んだという事だった。
文面から事情を察したらしく、昨日の日記等を読んだらしい。そうして私が自殺を図ろうとしている事も概ね推測がついたらしく、心配して電話を掛けてきてくれたようだった。

最初は彼の問い掛けに短く答える事しか出来なかった。そして彼が優しい言葉を掛けてくれるうちに、涙が止まらなくなって来た。私はまだ、「死ねなかった」「こんなに迷惑ばかり掛けているんだから私みたいな人間はさっさと消えた方がいいんだ」などと言っていたが、彼が「死のうなんて考えちゃ駄目だよ」「もう昨日の事は水に流したよ」などと言ってくれたので、少しずつ、浄化されていった。彼が私を元気付けようとしてか冗談を言って来たので、思わず笑ってしまった。

笑った。死のうとしていた人間が、笑った。
私は、浄化された。


隔月刊漫画誌『ガロ』に、雨宮処凛の日記が連載されている。彼女は『自殺のコスト』という、自殺に関わる費用について詳述した本を出しているのだが、2002年4月号の連載ページにはその本に関わる記述が少し掲載されている。
それによると、睡眠薬「ハルシオン」の致死量は150万錠、同じく睡眠薬「レンドルミン」の致死量は200万錠だそうだ。薬価に換算するとハルシオンで死ぬには3000万円、レンドルミンだと7940万円も掛かると書いてある。私は公費負担制度を受けているので掛かりつけの精神科で処方されたものを貯めればそんなに金は掛からないだろうが、それにしても凄い金額と量だ。とてもじゃないがそんなに貯められないだろうし、仮に貯められたとしても何百万錠も一気に飲めるはずもない。
私が昨日自殺未遂を図ろうとして飲んだ睡眠薬の中に前述のレンドルミンも含まれていたが、レンドルミンに限定しても飲んだのはせいぜい十錠くらいだ。これではとてもじゃないが死ねない。

『完全自殺マニュアル』にも書いてあるが、自殺には首吊りが一番だ。死体もそんなに汚くないし、苦しみもなく一瞬で意識を失って手っ取り早く死ねる。ロープ等が無くても、hideのようにタオルをドアノブに引っ掛けるだけでも首は吊れる。今すぐにでも死にたいという人は首を吊ろう。死体発見拒絶派は樹海や山奥などに行けば良い。服薬自殺は未遂に終わる事が多いし、最悪の場合「死ぬほど」苦しい地獄の胃洗浄を受ける事にもなりかねない。
そこまで決意の固まっていない自殺志願者には、私のように「寝逃げ」して現実逃避してしまうという方法もお勧めだ。自殺未遂で人生リセットしよう。生きる気力も湧いてくるかもしれない。

2002年8月24日
最悪だ最低だ消えろよって云うか死ねよ誰がって私が。レンドルミン0.25?を6錠とサイレース2?4錠とベンザリン5?2錠をビールで流し込んだ何故か惰性で抗鬱剤も飲んだ。煙草吸ったけど今日は何だか不味くてすぐに消した。

Yちゃん9回も電話してきてうざいよ?どうせまた酔ってるんでしょ。誰とも話したくないんだってば。

今サティのジムノペディとグノシエンヌと天国への英雄的な門への前奏曲とラインベルト・デ・レーヴ、リピートにして掛けてるこれが今の私を音楽で表すのにふさわしいし。ビョークのSelmaSongsのScatterheaetなんて間違っても聞かないおこがましすぎる。サティに飽きたらリリイシュシュ聞こう飛べない翼とかジャストフィットだよ今。あとPlastic Treeの絶望の丘とかも良さげだよ消えるまでのBGM。

ベッド潜って赤坂真理読もうコーリングとヴァニーユが良いなぁ。これも消えるまで読むには最適。私的には。
太宰治とか宮沢賢治とか安部工房も良いけど手元に本が無いよ今。ガルシアマルケスの百年の孤独も読みたいけど長いから冒頭何ページか読んでるうちに眠っちゃいそうだよ。

うるさいよ、3号。判ったよって云うかとっくに判ってるってば。消えるよ消えるってば。

さようなら、世界。

時間は変動する

2002年8月23日
仮眠のつもりだった。ほんの仮眠のつもりだったのだ。

というのも私は昼夜逆転が著しく、昼頃に床に就く事などほぼ日常化してしまっている。今日は朝から美容室に予約を入れ、それから眠って、起きたら美容室に行き、バイトの履歴書を書き、CD-R類を発送して来て、そして彼氏とデートする予定だった。

ところが、目覚ましを3つも掛けたのに起きてみると既に美容室の予約時刻が迫っていた。慌てて出掛ける準備を開始したが、とても間に合いそうも無い。予約キャンセルの電話を入れ、今日は美容室に行くのを断念する事にした。

郵便局が閉まる時刻も迫っていた。CD-R類は定形外郵便で発送するつもりで既に梱包を済ませてあったので、急いで最寄りの郵便局へと向かう。何とか間に合った。

帰って履歴書書きに取り掛かる。が、私の希望しているバイト先は電話予約も無くいきなり履歴書を持ち込み、その際に面接の日時を伝えるという特殊な募集方式を取っていたので、今履歴書を書いても、持って行くまでにバイトの希望先が閉店時刻を迎えてしまう。途中まで書いて、諦めて後程改めて続きを書く事にした。

何故って、今日書いても意味の無い履歴書を書いている分だけ、彼氏とデートする時間が減ってしまうのだから。

彼氏と連絡を取り、何処に行くか話し合って決める。気付けば起きてから何も口にしていなかったので、私の気に入っているアジアンテイストのレストラン&バーに行く事になった。

普段は小食な私も、お腹が痛くなる位飲み食いした。彼も満腹になったようだった。

さて、これから何処へ行こう、という話になった。外は雨だ。屋外で好きな場所があるが、雨では身体が濡れて寒いだけだ。彼が以前から連れて行ってくれると言っていた星空が綺麗に見える場所に行っても、この天気では星なんてろくに見えもしないだろう。

結局彼が橋の下の、人気の無い真っ暗な場所に連れて行ってくれた。
寒いし、人が来ると嫌なので車からは出ない。人気の無い薄暗い場所は好きだ。沢山人が居ると、いつも他者と自分との違和を意識してしまう。

車の中で、とりとめのない会話をする。ゆったりとした時間が流れていた。時間という概念は可変なのだ。時計の針の進み具合が変わる事は無いが人間が身体で感じる時間の流れは遅くなったり早くなったり変動する。

どれくらいそうしていただろう。気付くと夜の12時近かったので、親が心配するだろうという事で、彼に送って貰ってそのまま帰宅した。

帰ってからHPカスタムの為にJavaScriptに手を出したが、これがかなりの長時間に及ぶ作業となってしまい、翌日寝坊して彼に大変な迷惑を掛けてしまった。

かくして自殺念慮が表れた。この日記は8月26日に書いているので、詳細は翌日、翌々日の日記を参照されたし。
いくらネットジャンキー、PCマニアといえども、一日中PCに向かって何らかの作業を続けるのはキツい。

私の彼氏はネットショップオーナーを生業としている。半ば趣味でやっているむきもあるようだが、やはり仕事が辛くなったり、疲労困憊してPCを立ち上げるのも嫌になってしまう時があるそうだ。

今日はその気持ちがほんの少し判った気がした。

というのも、今日はほぼ朝から晩までCD-Rへのデータ書き込み作業を行っていたのだ。
枚数にして10枚程は焼いただろうか。ちなみに「焼いた」というのはCD-Rにデータ書き込みを行う作業をしたという事だ。俗語では、CD-Rにデータを書き込む事を「Rに焼く」とか、単に「焼く」とか表現されたりしている。

で、何故そんなに大量のRを焼いていたかというと、ネットを通じて知り合った友人に送る為だ。この友人とは、ぶっちゃけて書いてしまうとこの日記と相互リンクしてくれているBacchusなのだが、彼には以前数枚のCD-R等を送って貰った経移もあり、また彼が私の好きなアーティストのCDを聞いてみたいと言って来たり、私の出した本のバックアップデータや未発表原稿等にも興味を示してくれた様子だったので、以前からRに焼いて送る約束をしていたのだ。

ところが色々なやるべき事が重なったり、風邪で体調を崩したり、抑鬱状態に入ったり無気力症状が表れたりと、物理的にも精神的にもなかなか余裕が出来ず、約束をしてから既に何週間か経過していたのに全くR作りの作業が進んでいなかったのだ。

これはいけないと思い、R焼きに取り掛かった訳だが、私は完璧にやると決めたらとことん完璧にやらないと気が済まない性分である。父親と共有しているPCに入っている未発表原稿をフロッピーディスクに移し、それを送るべきものと送るべきでないものとに振り分ける作業から始める。父親に見られたくない文書には読み込みパスワード設定をしていたので、それを解除する作業も必要だった。
文書ファイル以外にも便利なツールをコピーして焼いたりしたので、きちんと動作するかどうか確認したりする作業も必要となった。
また、音楽CDに関して言えば、所有している音楽CDのみならず、データとしてハードディスクや手持ちのCD-Rに保存していたものを、曲順にも気を配りつつ焼いたりしていたものだから更に時間が掛かる。
また、収録曲目リストや歌詞掲載サイトのURLを載せたテキストファイルを作成し、それに加えて所有している音楽CDのCD-EXTRA等も焼いたものだから、焼く手間より編集する手間の方が掛かったと言っても過言ではない。

Rを焼いている最中に、むやみに他のアプリケーションを立ち上げたり、容量の大きなウェブサイトを閲覧していたりするとメモリ不足となり、書き込みに失敗してしまう場合がある。なので書き込み中は大きな作業は出来ない。従って今日は写真加工も全く出来なかったし、ネットも、メールや容量の小さなウェブサイト閲覧、少しばかりの掲示板書き込み程度しか出来なかった。


しかし私は、なにも愚痴をこぼしたい訳でも、ましてやBacchusに文句をたれようとしている訳では決してない。上記の記述はあくまで「日記」としての文章であり、単なる日常の記録である。

むしろ、彼が私の書いた文章や私の好きなアーティストに興味を示してくれた事に関して、大変嬉しく思っているのだ。だからこそつい力を注いでしまい、手間を掛けてでもなるべく完璧な状態で届けようと考えたのである。

確かに、正直に書いてしまえば疲れた。それでも彼には物品を送って貰った恩だけでなく、なかなか実生活の友達とは出来ないような哲学的な話題で盛り上がったり出来るという「精神的な『物』」を沢山貰ったという恩もあるので、このまま懇意にしていきたいと考えている。だからR焼きやデータ整理の疲れを差し引いても、迷惑だなんて微塵も思っていない。むしろ約束をしてからかなり時間が経ってしまっているのに発送の準備が遅れた事を、この場を借りて謝りたい気持ちで一杯だ。


Bacchusに送る分だけでなく、まだR焼きの作業は残っている。昨日図書館から借りて来た音楽CDや、同じく図書館から借りて来たアドビ公式トレーニングブックに付属していたレッスン用CD-ROMを焼かなくてはならない。更に、母に音楽CDのコピーを頼まれているので、それも焼かなくてはならない。

あまりにRばかり焼いていたせいか、MSNメッセンジャーの調子がおかしくなってしまった。再インストールも考えている。


こうして膨大なデータはコピーされ、世間一般に流布してゆく。デジタル時代の到来を象徴するかのようだ。
現代の科学をもってすれば、倫理的な問題を抜きにして考えればクローン技術で人間すら複製する事が可能だ。私という人間だって、コピーする事が可能なのだ。そしてこの日記を読んでいるあなただって、もはやコピー可能な存在なのである。

かくして生物学者の唱える「人間=機械」論は再武装して立ち上がる。
人間はよくできた機械に過ぎないのか、それともキリスト教的思想に見られるように「地球上で最も尊く、代替不可能な唯一無二の存在」なのか。

その答えは私が出すべきものではないし、私の中には無い。個人の判断の中にのみ、存在するのだ。私はまだ、そういった観点から見た「人間とはどういった存在であるか」という問いに答え得るだけの考えが己の中でまとまっていない。どちらかというと「人間=機械」論に傾きがちではあるが、何せまだ年端もゆかぬ子供の考える事だ。今後、更なる人生経験を積んだり、今まで知り得なかった知識や思想を手にしたりした時、この問いに関して、また違った側面から見る事が出来るようになるかも知れない。

しかし、この問いに対する明確な答えなんて、一生掛けたって誰にも出せないような気もする。ましてや私が偉そうに「人間とは…」と語るのは、それこそおこがましい行為だろう。

聖地を汚す者

2002年8月20日
図書館は聖地だ。

そう考えている人はごく少数だと思うが、少なくとも本好きを自称する私にとって、図書館は聖地に他ならない。

デイケアと診察の帰り道、返さなくてはならない本や借りたい本があったので図書館に寄って来た。

まず、前回借りていて読み切れなかった本を一旦返却し、それらを脇に抱えお目当ての本探しに入る。

新生HPスタートに向けての写真撮影や加工作業をする必要に迫られていたので、写真関連の書籍が並ぶ書架へと足を向ける。
やはり独学のみで早急に技術を磨くのは難しい。うまくなりたいのなら、やはりプロのテクニックを参考にすべきだろう。

デジカメ撮影テクニック関連の本を数冊斜め読みする。やはりデジタル機器関連の本となると、図書館に置いてあるそれは比較的古いものが多く、しかも全編モノクロだったりして肝心の色調がさっぱり見えてこない。
それでも参考になる記述がいくらかあったので、書架の前に立ちっぱなしのまま、とある一冊のデジカメ関連本を読み耽っていた。

その時だ。隣の書架、「写真」「美術」「芸術」などのコーナーを眺めていた二十台前半位とおぼしき男が、私の読み耽っている本の表紙をじっと見つめているのに気が付いた。
この人は、ひょっとしてこの本が読みたいんだろうか。それとも私が立ち読みしているのが邪魔で、お目当ての書架にじっくり目を通せないのだろうか。

そんな想いが頭をかすめたので、反射的に邪魔にならぬよう少し隅の位置に移動した。
そうすると、男が声を掛けてきた。
「写真好きなの?」
この人はひょっとして同胞だろうか。即ち、同じ写真好き仲間なのだろうか。だから私に声を掛けたのか?もしそうだとしたら嬉しい。私には実生活で写真好きの仲間がほとんど居ないのだ。しかも年代の近い人となるとことさらだ。写真談義で盛り上がったり、色々とテクニックを伝授してもらえるかもしれない。
「デジカメで写真撮るの好きなんですよ。あと加工とかしたりもしてます」
そう答えた私の声は明るかった。ここから写真談義に発展するかもしれないという期待感があったからだ。
「え、何歳?」
「18です」
「何やってるの?」
「仕事とかって事ですか?」
「うん」
「今はバイト探し中です。っていうか無職みたいなもんかな(笑)。ちょっと前まで通信制大検予備校生だったけど、大検も受かったっぽいしもう予備校の方からはほぼ除籍されてるんじゃないかなぁ」
男はそうなんだ、とうなづいて、どこの高校に通っていたかとか、色々な質問を投げ掛けて来た。
私もすっかり相手が写真や芸術好きだと思い込んでいたので、一つ一つの問い掛けに笑顔で答えていた。
「写真とか芸術とか好きなんですか?」
私の方から問い掛けてみた。
ところが男の返答は私の期待を裏切るものだった。
「いや、別に特に好きって訳じゃないんだよね」
何だか落胆してしまった。
「じゃあどうしてこのコーナーに?」
「いや、ちょっと用事があってね」
この時点で男に対する興味は殆ど薄れていた。しかし男は更に話し掛けて来る。
「これから何か予定あるの?」
ナンパだ。この男の目的は単にナンパだったのか。もうこんな奴とはさっさとおさらばしたい。
「いや、これから帰って写真の加工とかする予定ですけど」
もう私の言葉のトーンは冷たかった。
「じゃあ暇って事だね」
何が「暇」だ。膨大な枚数の写真のレタッチや加工に掛かる手間が、いかに大きなものであるかなんてこの男にはわからないだろう。それにこの日記の更新や裏日記への書き込み、HPのBBSのレス返し・更新、メールチェックやその返信、必要なデータをCD-Rに移す作業、ウェブデザインの勉強、日頃からよく訪れているHP回りなど、PC関連だけでもやる事は沢山あるのだ。その他にも、こんな男に費やす時間があるならその分を読書や音楽鑑賞、DVD・VHS鑑賞、小説執筆や作詞作曲・歌の練習など趣味に充てたいところだ。
「これからどっか行かない?」
やはり男はお決まりの台詞を吐いた。
「いや、私これから他にも見たい本とかあるんで時間掛かりますよ?あ、それにナンパとかならお断りですよ。彼氏居るし」
わざとらしく左手の薬指のペアリングを見せ付けてやる。
「ナンパじゃないって(笑)。こんなとこでナンパしてどーすんだって」
誰がどう見たって明らかにナンパだろう。そしてお前の言う通り、私にとって神聖な場所である図書館でナンパしようとしているお前の神経がどうかしている。
「でも一応彼氏居るし、男の人と二人きりになる時はなるべく彼氏の許可取ってからにする事にしてるし」
「じゃあT公園一周っていうのは?それだけなら別にいいでしょ?」
「まぁ、そんなに時間取んないっていうならいいですけど、私これからスタイルシートの本探して、雑誌コーナー行って、CD見て、あと探してる本あるんで検索したりするんでかなり時間掛かりますよ?」
本当はこんな男からはさっさと離れたい。うっかり社交辞令も出てしまったが、これだけ時間が掛かる事を強調しておけば男も諦めるだろう。それに私は実際、本を探すために図書館に来ているのだ。お前と遊ぶために来ている訳ではない。図書館を訪れた者が心ゆくまで本を物色するのは当たり前の事ではないか。
到底本好きとは思えぬ男は、こういった私の感覚を理解出来るはずもなく、仕舞いには私を急かしだした。
「そんな事T公園一周してからでも出来るじゃん。ほら、早く!早くぅ〜!」
うるさい。黙れ。そして去れ。お前とT公園を一周している分だけ、私の本を物色する時間が減るのだ。それに下手したら図書館は閉館時刻を迎えてしまうかも知れない。それこそ何の為に図書館に来たのかわからなくなってしまうではないか。お前一人で勝手に一周なり三周なり百周なりすれば良いのだ。
「いや、だから私今見たい本沢山あるんですってば。そうやって急かすのやめてもらえません?」
今度こそきっぱりと言った。男は多少なりとも諦めたのか、
「じゃ、好きに見てていいよ。俺待ってるからさ」
と言い残して、何処かへ消えて行った。

本を借りて図書館を出る頃には、男の姿はもう何処にも見えなかった。やはり手っ取り早く遊ぶ相手を探していただけだったのだろう。

それにしても私にとっての「聖地」である図書館でナンパとは、許しがたい行為だ。図書館は本を読んだりCD・VHS・LD・DVDを鑑賞する場であり、それらを借りて家で読んだり視聴するための場であり、知識を仕入れる場であり、勉学に励み、時にゆったりとくつろぐ場なのだ。
同じ作家が好きそうだ、同じジャンルに興味がありそうだといった理由で話し掛けられたり、通いなれていそうなのでお目当ての本の場所を尋ねられたり検索機の操作の説明を求められたりする分には、私個人に限定して言えば全くノープロブレムだ。むしろ、稀ではあるがそういったきっかけで話し掛けられたりするとこちらとしても大変嬉しく思う。しかし、大した用事もなくナンパ目的で声を掛けて来る人間というのは、私にとって聖地を汚した者にしか見えない。本好きで図書館通いを日課としているような人なら、こういった感覚や、私が憤慨する理由も何となく判るのではないかと思う。

ちなみに、今日図書館から借りた本・CDは以下の通りだ。
●京極彦夏『魍魎の匣』
●土屋賢二『ソクラテスの口説き方』
●土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』
●手塚治虫『ブッダ 4巻』
●手塚治虫『ブッダ 5巻』
●隔月刊 漫画『ガロ』2001年12月号
●隔月刊 漫画『ガロ』2002年4月号
●河西朝雄『新改訂版 ホームページを飾る JavaScript入門』
●『アドビ公式トレーニングブック Adobe Photoshop5.0 フォトショップ教室5.0』(CD-ROM付き)
●『アドビ公式トレーニングブック Adobe Illustrator8.0 イラストレーター教室8.0』(CD-ROM付き)
●斎藤和義『FIRE DOG』(CDアルバム)

アドビのトレーニングブックは、現在私が使用しているバージョンより1バージョンずつ下のものしか無かったのだが、まぁ大差はないだろう。
それにしても、最近はこういった軽いものしか読めなくなって来てしまった。一連の無気力症状のせいだろうか。

そういえば今日は診察の際に抗鬱剤の量を増やされた。やはり無気力感の強い抑鬱症状が悪化していると判断されたのだろう。

今日のデイケアは人数も少なく、私が平素よく話をする人も殆ど居なかった。なので、デイケアで飼育されているリクガメ「パトリシア」(命名は私による)の写真を撮ったり、ポスターカラーで画用紙に人物画を描いたりしていた。

無気力症状に襲われてもなお、なんだかんだ言って私に出来る事は創作活動や知識あさりくらいだ。そんな理由もあって、軽いものしか読めなくなってもなお、図書館は私の聖地であり続けるだろう。

そして聖地を汚す者には軽蔑の眼差しを向け続けるだろう。

しかし、己にとっての聖地。そんな場所が一つぐらいあっても構わないと思う。
そこは図書館でも、自室でも何でもいい。日常の中の聖地は、精神面でのカタルシスに於いて意外と重要なファクターを占めているのではないだろうか。

「書くこと」とは

2002年8月19日
不定期的に、無気力状態に襲われる。

それはいつやって来るのか、どうすればそこから抜け出せるのか。その方法を知っていたら斯様に悶々とした日々を送る事もあるまい。

ここ最近の日記の更新が滞っていたのは一連の無気力状態によるところが大きい。新規HPスタートに向けての写真加工や、ウェブデザインの勉強に力を注ぎがちだったという理由もあるのだが。
それにしても本来私の趣味と言える読書や、音楽・映画・映像作品鑑賞、作詞作曲、はたまたこれほどまでにネットジャンキーである私にも関わらず、ネットに繋ぐ事ですら億劫になってしまっていた。

で、何をしていたのかというと、主に寝ていた。眠って、嫌な夢を沢山見て、後味の悪い気分のままぼーっとしていたり、なかなかやる気は起きないのだが、半ば己に義務付ける形で写真加工に励んでいたりした。写真加工をするとなるとPCを起動しなければならない訳だから、惰性で少しネットしてしまったりしていた。惰性でネットしていた時も裏日記(HPマークから飛べる)に書き込みやレスをしたり、HPのBBSや「実況中継」というコンテンツの更新をしたりはしていた。こんな稚拙で大して面白くもない日記でも興味を持って下さった方は、そちらを見ると私の惰性ネット記録が残っているので、お暇ならそれらを覗いてみるのも良いかも知れない。


毎日書く事を己に義務付けようとして始めたこの日記や、HPの日記(現在は閲覧可能だが休止中)。しかし私の場合、物心ついた時からモノを書く事自体は好きなのだが、書けない時というのはどうしてもある。
なので、今後は無理せず、書ける日だけ書く事にした。そうでもしないと精神的にも時間的にも負荷が掛かって、この日記も続かなくなってしまうだろう。

今日は軽く睡眠薬を飲んで少し理性を飛ばしているので、文章もわりかしすんなりと出て来る。ここ数日間滞納していた分の日記も、今日の分を書き終えたらおいおいアップしていく予定だ。

私にとって「書ける時」「書けない時」の差異とは何であろうか。
まず、「始めの一文」が出て来ないと駄目なのだ。
出て来るというより、「降りて来る」と表現した方が適切であろうか。
漫画『魔方陣グルグル』の作者である衛藤ヒロユキ氏も、漫画のプロットが固まるまでひたすらゴロゴロしたりボーッとしているのだそうだ。氏はそれを「天使待ち」と呼んでいた。私の文章を書く意欲が高まるまでの期間も、この「天使待ち」に非常によく似ている。

始めの一文、書き出しさえ出て来れば後は概ねスラスラと書ける場合が多い。あとは、その時の私に書くべき事、表現したい・伝えたい事があるかどうかだ。

この2点をクリアすれば、余程凝った文章や力を入れた小説等でない限り、書いて、それなりに完結させる事が出来る。

これは私独自の文章作法だろうか。それとも大抵の「モノ書き好き」を自称する方々に当て嵌まる手法なのだろうか。
此処を御覧の皆さんの文章作法を、是非とも参考にさせて頂きたいところだ。

ところで話は飛ぶが、私はネット上で頻繁に男と間違えられる。
どうやら文体が男性的なのが原因のようだ。
主に男性作家の作品を読む事が多いので、知らず知らずのうちに影響されてしまったのだろうか。
掲示板の書き込みやチャット、メッセンジャーでもあまり女々しい言葉を使わないのも一因と考えられる。
現在はcocoというHNを使っているので頻度は減ったが、以前一時的に性別の判別がつきかねるHNを使用していた時は、男だと間違えられる事の方が多かった。
そもそも、いくら遠い夢は文筆業といえども、こういった文章をこういった文体で、18歳の女が書いている方がかなり奇特だと思う。話し言葉や掲示板への書き込み、チャット、メッセンジャーではもっとくだけた感じで顔文字も多用しているのだが、「ある程度まとまった文章を書く」という行為に至ろうとすると、どうしても脱力する事が出来ないのだ。
たまに少し文体を変えて遊んでみたりはするが。

飽和状態の現代日本文芸界に於いて、読者を惹きつける文芸作品を書くとなると、今までプロの作家諸氏が書かなかった世界観・文体・ストーリー・主題で挑まなくてはならない。
こう言うとおこがましいのだが、私がそういった「新しい文学」の創始者となる為には、今まで書き尽くされたものの隙間を見付けてそこに潜り込むか、既存の文学を一旦全部ぶち壊して、そこから全く新しいものを構築していくしかない。

どちらの選択肢を取るかは、私にもまだ判らない。
しかし、来たるべき「天使降臨」の時、自ずから何かを掴む事は出来るだろう。

数ヶ月後、数年後、数十年後の話になってしまうかも知れないが。
「■ALL OR NOTHING■」とは私のHPタイトルである。
このタイトルを冠したのは、別に適当な英語を引っ張ってきてカッコつけようとした訳ではない。

ALL OR NOTHING。直訳すると「全か無か」「完全かゼロか」。これは私の思考癖・性格を表すには実にしっくりと来る言葉なのだ。

即ち、やる時はとことんやり抜く。やらない時はとことん手を抜く。躁鬱。仲の良い人と盛り上がって大笑いした次の日には、もう死にたくなっていたりする。希望と絶望の間でいつも揺れている。生と死についていつも考えている。一つの事に集中した時のエネルギーは凄いが、そんな時は周りが全く見えなくなってしまう。

要するに、中庸を知らない。知ってはいるけど実践出来ない。

良くも悪くも、私はALL OR NOTHINGなのだ。それが自分の長所でもあり、短所でもあると考えている。

ALL OR NOTHINGが悪い面で出てしまうことがよくある。それが私の自己嫌悪を悪化させる大きな一因となる。


今日は彼氏とデートの約束だった。寝坊しないようにと、現在使用中の携帯、以前使っていた携帯、オーディオと、トリプルで目覚ましをセットする。
御蔭で寝坊はしなかった。目覚ましをセットした通りの時刻に目を覚まし、まだ時間に余裕が有ったので、新規HPスタートに向けての写真レタッチ&加工を少し片付けてしまおうと思い、作業に取り掛かる。

近頃、無気力症状の強い軽い鬱状態にある私は、普段なら楽しくて仕方無い筈の写真いじりもやる気が起きない。このままでは出掛ける準備すら始める気力が出なさそうだ。そこで、先日某氏に送って頂いた、やる気や集中力のつく薬を少しだけスニッフ(粉状にして鼻から吸う事)して作業に取り掛かった。

そうすると、薬が効いたのか恐ろしい程の勢いで写真いじりが進む。今まであまり使っていなかった加工ソフトの機能も、ヘルプ無しでいつの間にか習得していた。
完璧に集中していた。時計の針がどんどん進んでいるのにも気付かなかった。

彼氏から電話が掛かって来る。私が寝坊せずに起きているかどうかの確認の電話だ。問題無い。目は冴えているし、時間はまだある。

2回目、3回目と電話が掛かって来る。流石に当初予定していた時間が迫って来ていた為だ。
写真いじりが一段落ついたら出掛ける準備をする、と言った。あと3ファイル、3ファイルで一段落だ。

しかし彼氏が段々業を煮やして来ているのが声の調子で判ったので、途中で切り上げて出掛ける準備を開始する。

一通り化粧等を済ませ、準備が完了したのは夜の9時過ぎ。約束の時間をとうに過ぎている。申し訳無いとは思いつつ、準備完了のメールを打とうとしているその時、折りしも彼氏から電話が掛かって来た。

時間が時間だし、今日のデートは無しだ、と言われた。悲しくて、自分に腹が立って、申し訳無くて、これからどうするあても無いこの身で、何処かへ行こうと思った。服も着替えたし、化粧もしたし(私が外出用の服に着替えて化粧をするのは、外に出るという大きな決心を伴った時に限られるのだ。何せ半引きこもり状態なのだ)、カメラと携帯、小銭、鍵だけ持って、自転車で目的地も決めぬまま何処かへ行こうと思った。
一人で何処かへ行くのは好きだ。それも人気の無い場所、夜の河原なんかが大好きだ。
このまま一人で夜の街を徘徊して、どこか目立たない場所で死ぬか殺されるかするのも良いと思った。

「これからどうしよっかなぁ…。どっか行こうかなぁ」
「一人で?」
「うん」

電話口でそんな事を言うと、しょうがないなぁ、これから迎えに行くよ、と彼氏は言った。涙が出る程嬉しかった。

家の前の道路の脇で、彼の車が見えるのを待った。
電柱にはオレンジ色の灯り。それをスローシンクロでカメラに収めた。何だか今の私の気分にぴったりの風景だ、と思ったからだ。

彼氏と花火をした。途中で近所の猫が寄って来た。猫は眩しそうに、でも興味深げに花火を見ていた。年甲斐も無く、手持ち花火でコンクリートに文字を書いたりした。私は多分、幸せだった。でも何か言うべき事を、きちんと言っていないような気がした。

花火が終わると、彼の家でだらだらと過ごした。どうしてこんなにかっこよくて、可愛くて、優しい人が私みたいな駄目人間の事を好きでいてくれているんだろう。

少し、話すべき事を話せた気がした。私は幸せだった。でも自分が、嫌いだった。

自分が嫌いだから、たまに好きな人から思い切り暴力を受けたりしたくなる衝動に駆られる。

時間が遅くなって来たので、家まで送って貰って帰る事にした。家の前で車を停めて、暫く話し込む。話すべき事は、おおよそ話せた気がした。
私は、幸せだった。


帰ってから、再び写真いじりを開始した。でも先程の異常なまでの集中力は何処へやら、数ファイル加工してすぐに眠ってしまった。

睡眠薬を飲まずに眠ったので、嫌な夢を沢山見た。
最近見る夢といったら、嫌な夢か疲れる夢かのどちらかだ。

楽しかった筈なのに、深夜に部屋に一人で居ると自己嫌悪と無気力症状に襲われた。


ALL OR NOTHING。この言葉が私の根底に存在する限り、この「全か無か」「完全かゼロか」の無限ループは消えないのかもしれない。

そう思う度、将来への不安が募る。

母の遺伝子

2002年8月17日
母は絵が好きだ。

若い頃は絵の教室に通い、油絵なんかもよく描いていたようだ。

今は仕事が忙しいので流石に油絵は描いていないが、それでも毎日のように水彩画やラフスケッチ等をポストカード状の画用紙に描いたりしている。「新作」が出来る度に私に見せてくれる。

この小さなコレクションは既に膨大な枚数となり、本人はポストカードを作って売り出したいだの、自分の店や図書館の展示スペースを使って個展を開きたいだのと言っている。

私はよく言う。「文章力とは筋肉のようなもので、使わなければ衰える。使えば使うほどある程度までレベルを上げる事が出来る。だから毎日のように、何でもいいのでこまめに何か書き続ける事が必要なんだ」。

絵を描く能力というのも、同じではないだろうか。時間の合間を縫っては小品を描き続けて来た母の画力は、描き始めた頃と比較してみると格段にアップしている。
これならポストカードを作っても、一般の市販品と並べても何の違和感も無いだろう。

母には大好きな画家さんが居る。私達の住む街の近郊にアトリエを構える、風景を主に描く方だ。その方と少しばかり懇意になっているようで、先日自分の描いた水彩画の中から出来の良いものを選んで送ったところ、直筆の葉書が返送されて来たと言って喜んで見せてくれた。


私は現在新規HPスタートに向けての準備を進めている。
その中に、母の絵をメインにした、母専用のページを作ってあげようと持ち掛けたのだが、不特定多数の人に見て貰うなら自分の店で個展を開くか雑誌に投稿するだの、掲示板やメールの返事を書く時間が無いだの(母は全くPCを扱えないので私が代筆する事になるのだが)、結局「取り敢えずHPは要らない」という事になった。

母はそれなりに新しいもの好きではあるが、結局のところアナログ人間なのだ。私の写真加工も、どういった点が楽しいのかいまいち判らない様子だ。私がウェブ上で日記を書いていると言っても、「知らない人に自分の日記を見せるなんて…」などと言っていた。こういったものは知らない人だからこそ、恥ずかしさも薄れて気軽に書けるという感覚が理解出来ないのだろう(これを読んでいる人の中には、実生活で私を知っている人も含まれていると思うが)。

私は理工学部出の父の影響か、いつの間にやらデジタル人間になってしまった。しかし、本好きで、芸術好きで、音楽好きで映画好きな母の遺伝子は、確実に私の身体の随所にその痕跡を残している事だろう。

私の得意とする文章や写真、母の得意とする絵画。
そのうち何かの形でコラボレート出来れば良いなぁ、と考えている。

花火待ち

2002年8月14日
花火を見ると、ようやく夏が来たという気分になるのは私だけだろうか。

海、祭り、花火。私を「夏」という空間に連れ込んでくれるもの。日本的な四季の伝統感覚が、知らず知らずのうちに私の中に染み込んでいるのだろうか。

彼は二時前にうちへやって来た。車内をブルーで統一した愛車で。乗っていると、ちょっとかっこいいホームページの中を探索しているみたいだといつも思う。私は車には詳しくないし、自動車免許すら持っていないけれど、彼の車に乗ると車にこだわる人の気持ちが少しわかる気がする。

私は化粧が終わらない。こんな日に限って眉がうまく描けない。マスカラがはみ出して瞼につく。それをいちいち綿棒で取るから、更に時間が掛かる。

二時を少し過ぎて、ようやく彼の車に乗る。バイトの面接が、二時半からある。その前に写真屋に寄って、昨日撮った証明写真を取ってこなくてはならない。

彼が急かす。私も焦る。

写真はすぐに取って来る事が出来た。移動中、履歴書に写真を貼る。少しぼやけた、作られた私の顔。これが私という人間を証明するのだとしたら、ちょっと悲しい。

面接はすぐに始まった。明るく、ハキハキと、簡潔・明朗に。質問事項があれば小さな事でもきちんと聞いておく。背筋の曲がりがちな私は、きちんと背筋を正そうと終始留意していた。
そんな当たり前の事を心掛けていると、何だか採用されそうな雰囲気になって来た。

病院がお盆休みに入る。今日中に診察を済ませておかなければ薬が切れてしまう。あらかじめ予約してあったが、随分待たされそうだ。彼にそう言うと、一旦家に帰って待っていると言った。何だか申し訳ない。

意外にも診察の順番はすぐに回って来た。先生に、大検合格を告げようと思って切り出そうとすると、他の患者さんやスタッフの人を通じて既に知っていると言って笑った。
もう鬱の期間は去った。風邪を引いた時、知らず知らずのうちに「治ろう、生きよう」と身体が悟ったのかも知れない。あれほどまでに私を誘惑していた「死」の文字も、何処かへ消えてしまった。
でも、薬の処方はほとんど変わらなかった。抗鬱剤を、飲み続けていないと急に鬱に入る事がある。睡眠薬で眠る事が習慣化した私が急に睡眠薬を断つと、反跳不眠を起こしたり、熟睡出来ずにストレスがたまる可能性がある。

診察が終わってから、デイケアに顔を出す。仲の良い子と、新しく入った一つ年下の子と話をして盛り上がる。3人で一緒にプリクラを撮って来た。

彼が薬局の前まで迎えに来てくれた。車なら、河原はそんなに遠くない。車を停めて河原まで二人で歩く。
まだ花火は上がらない。時間はありあまるほどある。売店でビールと食べ物を買って、二人で河原の石段に座って乾杯した。

川を見ると何だか安心するのは、私が川の多いこの街で育ったせいだろうか。

オープニングセレモニーと銘打って、地元の小学生によるブラスバンド演奏が始まる。音がスカスカで、室内・屋外どちらにしてもそんなに練習していないのがばればれだ。指導者にもあまり力量がない。小学生の頃、ユーフォニウムを吹いていた私にはすぐわかる。

アルコールに弱い私は赤くなる。空も赤くなる。赤くなって、濃紺になって、夜の色になる。

冗長なオープニングセレモニーはまだ続く。時代遅れなパラパラ、退屈なおばさん達のフラメンコ、聞き苦しいアカペラソング。

地元青年団による太鼓演奏が終わって、ようやく花火が上がった。

夏だ。

花火はそんなに大きくない。不似合いなシンセサイザーミュージックも流れっ放しだ。でも、長い時間待ってようやく夜空に咲いた花火は、感動すら覚えるほど綺麗だった。

写真を撮る。でも、もったいない。生で見た方が綺麗だ。

地元主催の小さな花火大会は、すぐに終わってしまった。

彼と夜景を見に行く。足元が暗い。彼に手を引いて貰って、携帯のバックライトを懐中電灯代わりに進む。

夜景はあった。小さいと思っていたこの街にも、こんなに沢山の灯りがあった。この一つ一つが家々の灯りだとすると、そこに一家族、一人一人の生活があって、それぞれの生活のにおいがあるんだ。
小さな頃読んだ、『ビルのふうせんりょこう』という絵本があった。ベッドにたくさんの風船をつけたビルは夢が叶って空を飛べて、ビルが上空から眼下の景色を見渡す挿絵が描いてあった。そこに描かれていた家々は牛乳パックみたいだった。
みんな、小さな牛乳パックのような箱に押し込められている。高い所から街を見下ろす時いつもそんな事を考えてしまうのは、あの絵本のせいだろうか。

そんな事を彼に話すと、文学的だとかなんとか言って彼は笑った。

彼の家に行った。私はなんだか眠くなってしまって、彼のベッドで少し眠った。家に帰ると夜中の3時だった。

睡眠薬を飲んで、更にスニッフして眠ったので眠る前の記憶が少し飛んでいる。睡眠薬は健忘を起こす。でも、今日見た花火と、夜景と、彼の顔は忘れることがないだろう。
昨日決定した第一候補のバイト先に電話を入れる。

面接は明日という事になった。履歴書を書いたり写真をいじくっているうちに、履歴書に貼る証明写真を撮りに行く時間が無くなって来た。

…そうだ、デジカメで撮って背景色だけ変えてしまえば良いではないか。

そんな訳で、部屋で椅子に座って父に写真を撮って貰い、それを証明写真用のサイズ・色調に加工してCD-Rに焼いた。
それを閉店間際の写真屋に持って行く。仕上がりは明日の午前中だ。明日の面接までには充分間に合う。

家に帰り、意味も無くピザを焼く。
ピザといっても、ドライイーストが無かったので代わりにベーキングパウダーを使用した為、ピザ味のクッキーのようなものになってしまった。

それでもまぁ、食べられないという程の味ではなかった。
自分で作っておきながら食べ切れなかったので、残り半分程を母と父にあげた。何だかよく判らないものを食べさせられる羽目になったというのに、二人とも「美味しい」と言って食べてくれた。

ピザの生地をこねたり、油でギトギトのサラミを切っている最中に限ってやたらと電話が掛かって来た。携帯が汚れてしまうと思って、途中でハンズフリーマイクを着用したが、再び電話が掛かって来たのはピザを食べている最中だった。ナイフとフォークを使いながら通話出来るので多少便利ではあったが、何だか無駄骨折りだった気がする。

明日はバイトの面接だ。早目に寝ておかないと寝坊しては大変だ。軽めの睡眠薬を飲んで、さっさと床に就いた。

奔走

2002年8月12日
預金残高が底をついてきた。
これはいけない。無事大検にも合格したことだし、何かバイトを始めないことには、数ヶ月後には携帯代もネット代も払えなくなってしまう。

そんな訳で、アルバイト情報を漁って来た。
まずは以前ネットで見付けた求人情報をブックマークしておいたものを見て、電話を掛けてみる。

書店だ。本好きな私にとって、書店のバイトは憧れなのだ。

近いうちに再びバイトを募集するとの事だったが、実際に詳細を聞こうと店まで出向くと、求人情報誌に募集広告を載せるのは2週間後になるという。

しかも店の雰囲気が、どうにも事務的というかマニュアル通りというか、和やかな感じではない。
以前自作の本を置いて貰おうと書店回りをした際にも、あっけなく断られた店である。

候補には入れておいたが、他の書店を当たってみた。
が、何処もバイトの空きがなく、以前私の本を置いて貰った店などは空きさえあればすぐにでも使ってくれそうな雰囲気ではあったが、残念なことに3人も新しい人を入れたばかりだとの事だった。

仕方無く求人情報誌を買って来る。

血まなこになって探すが、何処にも書店のバイト募集の広告は無い。

しかし興味をそそられる求人は何件かあった。

ツアーコンダクター。楽しそうだ。色々な場所にタダで旅行に行けるし、日給も高い。ただ、倍率が高そうだしかなりハードそうだ。

花屋の事務兼店内業務。これも良さそうだ。PCも扱えるし、花屋は書店に次いで憧れのバイト先だ。…江國香織の影響っぽいような気もするのだが。
でも勤務地が遠い。しかも35歳位迄と書いてある。おばちゃんが多そうだし、年齢的に不採用になる確立が高い。

服屋。これも女として何となく興味をそそられる。しかしやはり倍率は高そうだ。しかもバイト中はかなりお洒落をしなくてはならなそうなので、出勤時間ギリギリに起きた場合など辛そうだ。

コンビニ。採用される確率は最も高いだろう。しかし時給は低い。週に数日、数時間しか働けなさそうだ。そして、とても退屈そうだ。

中古・新品CD、DVD、ゲームソフト、本屋。これは良さそうだ。しかも新規オープンとの事だ。上下関係でのトラブルも少ないだろう。本・音楽・映画・映像作品が好きな私に向いていそうだ。

という訳で、母にも相談した結果、この店を第一候補にする事にした。第二候補は始めに電話を掛けた書店。このいずれも不採用だった場合には、再び別の求人をあたる事にした。

数店の書店へ飛び込みバイト探しをしている間、一休みがてら久しぶりにデイケアに寄って来た。
皆に「痩せた」と言われた。やはりまともな食生活をしていない所為か。しかし体重はさほど変動していない筈なのに何故だろう、と思って家に帰って体重計に乗ってみると、40?まで体重が落ちていた。いつの間にこんなに痩せたのだろう。

家に帰ってから、再びカメラ片手に外に出る。
HP移転の為の素材集めだ。写真を前面に押し出した雰囲気のHPにしようと考えているのだ。

家に帰っても、部屋で素材に使えそうな写真を撮ったりしていた。そして、少しだけレタッチ&加工開始。でも、疲れて途中でやめてしまった。

気付くとPCのキーボードに頭をぶつけていた。
眠気の限界が来ていたのだ。PCを枕にして眠るのには抵抗を感じるので、そのままベッドに直行して、眠った。

背筋が曲がっているのでそれを治そうと思い、背中の下にツボ押し器のようなものを置いて寝たのだが、これが大変痛くて、起きた時には背中4箇所に妙な痛みが残っていた。

接続許可証明書

2002年8月10日
言葉が言葉が死ぬほど溢れて電話は床にぶちまけたよ。ぶ、ち、ま、けTAAAAAA。ね、ゴミはゴミ箱へ屑人間は屑篭へ狂ってる狂ってる?てる。TELは新世界。猫を抱き締めて犬に唾を吐き掛けてトリッキーなモデルは有事法制可決で廃品回収。清掃業者が参ります、ますマスコミは表現者です、ですデスメタルは不可知な世界だね、だね種は撒き間違えないように、ように要に小さいんだよ。私だってあんただって世界とかいうわけわかんないものもね。ね!きっとkitだるいdullな明日があったって、あったっ、て。関係ない?ない?nine?8,7,6,5,4,さん!にぃぃぃぃ!いち!!!位置は謙虚に確認してね随時ね強迫神経症的にねでも髪は抜かないでね。拳で割ってもいいかなぁ?窓だよ。

※詩のようなモノです。自動筆記に近いかも?

ぇ?合格ですか?

2002年8月9日
熱が下がった。
幾分かだるさも抜けたように感じる。
どうやら風邪の山場を通り越したようだ。

まだ微熱は残っているが、ここ丸二日間横になってばかりいたので、調子が良くなったとなると俄然活動意欲が湧いて来た。

予備校から届いていた、大検本試験の解答の封を開けてみる。
解答と一緒に、担当者の方の直筆の手紙が同封されていた。

そこに記されていた一文を見て、自分の目を疑った。

「ボーダーラインは全科目40点です。」

…ぇ?嘘ぉ。そんなに低いんですか?!

要するに100点満点中40点以上取れていれば、まず合格と考えて間違いないという事だ。

…いや、これはあまりにも低過ぎる。
 もしかしたら「40点分以上間違っていたら不合格」という意味ではないか?

予備校に電話を掛けてみた。
担当の方は私が通学部に在籍していた頃、懇意にして下さっていた女性だ(のちに通信部に移籍したが)。会話もスムーズに進む。

本題に入ると、心配していた事態とは裏腹に、「合格ボーダーラインが」40点だとの事だった。

…受かった。

確かに予備校時代から少しナメて掛かってはいた。
が、それにしてもあまりにあっけない合格である。

「危ない」と見ていた科目さえ、物凄く謙虚に自己採点したとしても50点台後半以上は取れている筈である。

もうこうなると、解答を開いて正式に自己採点する気も失せてしまった。
何せ天地がひっくり返るような事態にでもならない限り、私の合格は確定したも同じなのだから。

彼氏に合格を伝える。裏日記にも「受かった」と書き込みを入れる。秘密メモにも書く。HPでも報告する。友人達にもおいおい伝えていく予定だ。

実は今日から本格的に、滞納していた分の日記をまとめて書き始めた。日記なので「今日」という表現を使っているが、本当の「今日」は8月11日である。
短文で済ませるのに抵抗を感じざるを得ない性格故、私の日記は平均してどの日も長文である。一日約1200文字〜3000文字強を約1週間分書くのだから、殆ど一日中PCに向かって書き続けなければ現実の日付けに追い着けない。筆の早い方でも無いし、精神的に辛かった日の分となるとことさら筆が滞る。

そんな訳で、この日からほぼ一日中自室に篭って日記を書いていたものだから、普段なら仲の良い母とも疎遠になる。私は文章を書いている時、横に誰かが居たり話し掛けられたり音楽を流されたりすると、集中出来ず機嫌が悪くなるので、尚更母との関係も希薄になってしまった。
なので、母に大検合格を伝えるのはかなり遅れる事になってしまった。

「そういえば大検どうだったの?」
「あー、受かった受かった」

ドア越しの、こんな形での報告になってしまった。
今思えばもっと盛大に言っておくべきだったと少し悔やんでいる。

まぁ、何はともあれ合格は合格だ。
ここは素直に喜んでおこう。

さて、溜まっていた「やらなければならない事」を一つずつ片付けていかなくては。

…まずはこの日記の滞納分を書き上げる事から始めるか。
風邪が悪化した。

というより昨日が引き始めだったのだから、今日が「ヤマ」である可能性の方が高いのだが。

普段固形物を摂る事の方が少ない私も、今日に限っては栄養をつける為、ある程度まともな食事をした。

初めて熱を計る。39.3℃。どうりで辛い訳だ。

PCを立ち上げたり本を読む気力も湧かず、ただひたすら寝たり起きたりを繰り返していた。

細かい病状報告なんて書く方も読む方も面白くないだろうから此処では省く事にする。


代わりに、やや唐突ではあるが、昨日の日記でも何度か登場した「愛」という言葉について、私なりの見解を少し述べていくとする。

「愛」という概念は、古代ギリシャ哲学にその根源を見てとる事が出来る。

古代ギリシャ哲学に於いて、愛とは2つに大分されると考えられていた。
「フィリア」、すなわち友愛。そして「エロース」、すなわち男女間の愛。

この概念自体は両者共、現在も廃れずに残っている。
「エロ本」「エロオヤジ」などの言葉は「エロース」の名残りである。古代ギリシャでは、男女間の愛とは性愛抜きに考える事の出来ないものとされていた為だ。

この考えには私もうなづける。どんな綺麗事を並べたって、異性に惹かれる時、無意識下でも性的な関係を持ちたいという欲求が無いといったら嘘になるだろう。

「フィリア」は、友愛だからといって何も友人への愛だけを指すものではない。
意識や情念に於いてシンパサイズされた者同士の愛である、というのが私なりの解釈だ。

時代は飛んで20世紀中盤、ガンジーが「博愛」という概念を初めて広く世界に明示した。
全ての人間にわけへだてなく愛を注ぐべし。
一言で言うと「博愛」とはそういったものだろうか。

中村一義(好きなアーティスト)の影響を受けて、私は博愛主義に傾いた。
そうは言ってもやはり好きになれない人・冷たく当たってしまう人は大勢居るのだが。大好きな人にすら愛情を注げない事だって、それこそ数え切れない程ある。

以前の私は、
「愛なんて幻想だ。人間の感情なんて全て脳内伝達物質の働きによるものだ。皆、愛という幻の偶像を崇拝しているに過ぎないのだ」
などとほざく、生意気なニヒリスト気取りのガキだった(今でもガキだが)。

それが打って変わって、今では愛の存在を意図的に肯定している。

ある人にとって愛は幻想であっても、ある人にとってはそうでないかも知れない。
要するに、「信じるか信じないか」という最も単純な選択肢に収斂されてしまうのだ。

そもそも愛とは何だろう?
そんな事が判るのは、「愛」という言葉を作った人か、世界で初めて誰かを愛した人か、神くらいのものだろう。

判らないけど、敢えて信じる。
幻想かも知れないけど、敢えて肯定する。

そうした方が実りある人生を送れると、最近になってようやく気付いたからだ。

「感動?バカバカしい」「愛?幻想だよ」「感情?ああ、脳内伝達物質の働きの一部の事ね」

これではとてもじゃないが、「イキイキとした素晴らしい人生」を送れそうもない。
なので、少し発想を切り替えて「プチ意図的ヒューマニスト」を気取ってみる事にしたのだ。
またしても中村一義の影響が大きいのであるが。

フィリアもエロースも博愛も、肯定してしまおう。信じてしまおう。

そして信じた者だけが、本物の愛を手にする事が出来るのだ。
何せ「愛」という概念自体、人間の頭の中にあるのだから。本物かどうかなんて、信じる人それぞれの自己満足次第だ。

よって、私は本物の愛に触れる事が出来たといえる。

「皆さん!!愛してますよ!!!」

…なんて大声で言ってしまうと、何かの宗教団体と勘違いされそうなのでやめよう。少なくとも公衆の面前では絶対にやめよう。


風邪、治れよ。熱に浮かされたじゃないか。

他者依存傾向

2002年8月7日
頼れる精神科医、頼れるカウンセラーの基準とは何だろう?
人によって違うだろうが、私の場合、その技能はもちろんのこと、「その人に全てを話せるか否か」という一言に集約される。

最近の胃の調子から性生活の詳細まで、何もかも事細かに報告出来るか?
薬の処方から隣人の愚痴まで、全ての不満をぶちまけられるか?

やや極端な例を挙げてしまったが、此処で言いたいのは要するにそういう事だ。

で、今日は診察に行って来た。

どうも風邪を引いたらしく、しかもこれが引き始めからかなりの重症っぽい。
外は雨。片手運転で傘を差しつつ自転車を漕ぐにはあまりに辛い。かといって傘を差して徒歩で病院へ向かうのは更に辛そうだ。
そんな訳で、父に車で送って貰う事にした。
私と父の関係は決してかんばしいものではないのだが、現在住居を共にする家族の中で運転の出来る者は父しか居ないので、やむを得ず父の力を借りた。

先生に風邪を引いたこと、先日の大検本試験のこと、ここ最近抑鬱状態にあり、軽い自殺念慮が出ていることなどを話した。

「人に迷惑掛けてばかりなんです。どうせ私は誰からも嫌われて終わりだし…。リスカしたくてたまらないんだけど、彼氏がしちゃ駄目だって言うから…。彼氏に嫌われたくないから我慢してるけど…私は自分の身体も自由に出来ない…!」

泣く。ためらう事もなく、泣く。

やはり泣いてしまう患者さんも多いのか、診察室にはティッシュとゴミ箱が常備されている。

診察室で涙ボロボロになる事なんて、私にとっては日常茶飯事である。泣けばスッキリする事も、経験上重々承知している。どうせ精神科だから他の見知らぬ患者さんに泣き顔を見られても大した羞恥心も感じないし、既に慣れてしまった。受け付けのお姉さん達とも顔見知りなので、こうなればもう何も恥ずかしい事なんて無い。

先生は私の話をきちんと聞いてくれた。
抗鬱剤をもう一種、一回1カプセルでも良いのでなるべく毎食後飲むように言われた。この抗鬱剤は以前常用していて、現在も抑鬱状態が悪化した時に飲むように言われる。
この抗鬱剤は便秘を引き起こしたり、私の場合食欲が増進する傾向があるようなので、平素から「太るので飲みたくない」と言っていた薬だ。
先生もそんな私の心情を察してか、一回1カプセルだけでも、毎食後飲まなくても良いのでなるべく飲むようにと言ってくれた。
診察を終えて「ありがとうございました」と言って立ち上がると、先生に「随分痩せたねぇ」と言われた。
痩せたのだろうか。体重はさほど変わっていない筈だ。連日の体調不良と不養生の所為か。


薬局で、薬待ちの間に毛布を貸して貰って横になる。風邪の所為で全身がたまらなくだるい。
薬が出来たらぬるま湯を貰って、その場で薬を飲み、風邪で荒れた喉を潤す。

体調は悪い、気分は激鬱。心身両面に於いてバランスを崩していた。さっさと薬で鬱を遠ざけて、風邪の方は自然治癒力に任せて治してしまわないと、鬱+風邪で自殺とも病死とも判らないまま本当に死んでしまいそうだった。

父にはあらかじめおおよその時刻を告げ、「この位になったら迎えに来てね。他に帰る手段無いし。どんなに遅れてもT薬局で待ってるからね。薬局閉まっても外でいつまでも待ってるからね」と言っておいた。

父親の愛情らしき愛情をまともに受けた事がない。
私の中で父を憎む反面、愛情の証みたいなものを求める気持ちが内在しているようだ。

時間をとうに過ぎても父は来なかった。
電話一本すら無い。
薬局のおじちゃんやおばちゃん方が心配してくれて、ご好意によりおじちゃんの車で家まで送って頂ける事になった。

…情けない私。
 そして、結局父に愛されない私。

帰っても、一人。独り。
もうとっくに慣れてはいるのだが。

さっさと手持ちの風邪薬と睡眠薬を飲んで、寝る。
寝る前に彼氏と友人に電話した。
何を話したかはよく覚えていない。

疲れる夢を沢山見た気がする。


私は、何を欲しているのだろう。

「人の温もり」というヤツだろうか。

それを手にすれば、この抑鬱状態から抜け出せるのだろうか。

奴を殺せ

2002年8月6日
自己嫌悪が深まる一方だ。

本日より、滞納していた分の日記執筆に本格的に着手した。
先日某氏に頂いた、「合法覚醒剤」の異名を取る某薬をスニッフして、とことん書き続けた。ちなみにスニッフとは、薬物を粉末状にして鼻から吸い、鼻腔の粘膜から吸収させるやり方で、その即効性が特徴だ。

書く。ひたすら書く。
おおよその規定文字数・3000文字をややオーバーしつつ、2日分まとめて書いた。


昨日は診察日だったのだが、薬の残量にも少し余裕があったし、活動意欲が湧かずサボってしまっていた。
今日こそは診察に行かないと、もう薬も無いし、抑鬱症状から来る軽度の自殺念慮が消えず精神的にも辛い。

病院に電話を入れる。予約の空きを確認して、診察可能な時間帯を訊く。
が、既に閉院30分前である。我が家から自転車を飛ばして病院まで約5分。しかし、これからシャワーを浴びたり歯を磨いたり服を着替えたりするのだ。化粧はやむを得ず省くとしても、どう考えたって30分以内に到着出来るとは考え難い。
仕方無く、明日の朝一で診て貰う事になった。


さて、そうとなったら早速彼氏とデートだ。
久しぶりだ。目指すは夜景とドンキホーテ。

新しく買った服を着よう。香水を変えてみよう。
嬉しさで胸は膨らむのだが、待ち合わせの時間が近付いて来ても文章を書くのが止まらない。

ようやく一段落着いたところで、シャワーを浴びたり歯を磨いたり、出掛ける準備をする。

出掛ける準備をしようと思っているのに、身体がテキパキと動かない。何もせずに数分間ぼーっとしたりしてしまう。

シャワーを浴びていても、一通り全身洗った筈なのに、いつの間にかまた身体を洗っていたりシャンプーを繰り返したりしていた。

…何だこれは。おかしいぞおかしいぞ。

浴室から出ると彼氏から電話が来た。気付けばもう約束の時間を2時間弱も過ぎている。

…もう、死にたい。
 私という人間はどこまで駄目になれば気が済むんだ。

でも、更に最低な私は「これからでも会いたい」と言ってしまった。彼氏も怒っている様子だったが良いと言ってくれた。
化粧は適当に済ませ、髪も自然乾燥のまま極力時間を掛けないようにする。
結局夜景は見に行けなかったが、彼氏が可愛いスヌーピーの枕をくれたり、ドンキホーテをあちこち探索しつつ色々な物を買ってくれたり、やはり優しい人だなぁと思った。

…でも、何だか疲れてる?
 それともやっぱり怒ってる?
 口数、少ない。
 このまま荷物と私を置いて、家に返そうとしてる?
 今日はそれだけ?それだけ…。

そんな事を考えていると、家の前まで来て泣き出してしまった。

酷い事をしてしまった自分への苛立ち、怒らせてしまったままろくにじっくりと話も出来ずこのまま離れてしまう不安、久しぶりに会ったのにお互いこんなモヤモヤしたままでいる違和感、単純にもっと一緒に居たいという気持ち、連日から続く軽度の自殺念慮を伴った抑鬱的感情、それらがいっしょくたになって、その上に何だか判らないものまで混ざって、気付くとそれは涙となって溢れ出していた。

「まだ帰りたくない」と言ってしまった。

彼氏は私を彼の自宅へ入れてくれた。
仕事が少し溜まっていたみたいで、PCを立ち上げて手馴れた様子でそれを片付けていた。
私は傍で見ていた。

彼氏が仕事を一通り終えると、どういう経緯だったかは覚えていないが私が高校時代に作ったHPを見た。
恥ずかしさと懐かしさが入り混じって、ついつい見入ってしまった。
いつの間にか、私一人で勝手に見て勝手に盛り上がっていた。

「あのさぁ、cocoは今日何の為に此処に来たの?」

彼氏にそう言われてはっと我に返った。

…最悪だ最低だ私は死ぬべきだ。

すぐにPCは切って彼氏の傍に身を寄せる。
このまま私を殴り倒して、首を絞めて、窓から突き落としてくれたらいいのにと思った。
非のある私に彼氏自らの手で、ふさわしい罰を与えて欲しいと思った。

そうでもしてくれなければ、暫くやめていたリストカットが、帰ってすぐにでも再発しそうな気がしてならなかったのだ。

彼氏がやめて欲しいと言うので、嫌われたくない気持ちの方が強かったので、結局リストカットはしなかった。

何だか眠くなって来て、いつの間にか彼氏のベッドで眠ってしまった。明け方近くまで起きれなくて、また迷惑を掛けてしまった。

時間が有限であるという自明の理が、私の中のどこかで抜け落ちてしまっているのかも知れない。
もう2年間近く送って来た、無職、フリーター、引きこもり、入院、通院、授業時間の少ない予備校生活の日々。
それらに順応してしまった身体が、私の時間感覚を狂わせたのだろうか。いくらでも時間のある人間は私含めごく少数で、多くの人にとって時間は限りある大切なものだ。いつまでも自分の使いたいように時間を使っている訳にはいかない。ごく近い未来の私だってそうだ。


いつも、絶対に嫌われたくないのに嫌われるような事をしてしまっている気がする。

いつも、絶対に嫌われたくない人に限って私から遠ざかって行くように思う。

そして、一番嫌いな奴の喜ぶ事ばかりしてしまっていて、そいつとだけはどんなに距離を置こうと思っても、いっこうに私の傍を離れない。

時には殺意を覚える程、奴が嫌いなのに。


「奴」が誰かって?

私だよ。
8/3から続く鬱々とした気分や自己嫌悪、たびたび遅い来る自殺念慮がまだ消えない。

本当なら今日は診察日だ。しかし診察に行く気力すら無く、ただただ引きこもっていた。

電話だけは割と頻繁に掛かって来たように思う。
電話では明るい声で、明るい話題を中心に話していた筈だ。

私は実生活に於いて、他人に「鬱ですヘルプ」を発する事が滅多に無い。

これは、ひとえに私の「明るく振る舞わなくちゃ」「そんな事人に言ったってウザがられるだけだ」と考える性格に由来するものだと思われる。
もし、私からの「鬱ですヘルプ」を受け取った覚えがあるという方が居たら、その人は可哀想な事に、余程私に頼りにされているのである。


私は絶対的な肯定や否定の表現も避けがちな傾向にある。
「多分」「(仮)」「恐らく」「〜なのだろう」「〜ではないだろうか」「〜だと思う」などなど、私の手によって書かれた文書の随所には、無意識のうちに絶対的表現を避けるような言葉が挿入されている。
これは意図的といえば意図的なものだが、平時から特に意識している訳でもなく、自然と出てしまうものが殆どだ。

何が意図的なのかというと、私の思想(というのもおこがましいが)のベースには「絶対的な善悪は存在しない」というのがまずある。すなわち、善悪とは人間が定めたものであるからして、個々の事象そのものが予め「善悪」を持つものではない、と。

これをさらに拡大解釈してひとまとめにしてしまうと、私は根本的に懐疑主義なのだ。
どんなに真理へ近付こうとしても、永遠に絶対的な解答は得られない。推測はあくまでも推測に過ぎず、しかも我々に許されているのは推測(推論)と実験(経験)のみなのだ、というのが私なりの懐疑主義論だろうか。哲学に詳しい方からは誤りを指摘されてしまいそうだが。


これら一連のニヒリズム的とも取れる態度が、私の精神的疾患と何らかの関係性を持っている可能性は否めない。
具体的にどんな風にだ、と訊かれると返答に詰まってしまうのだが。


一つだけ、ある程度の自信を持って断言出来る事がある。

「全ての事象は、虚構である可能性がある」

これに従うと、この日記も、私も、読んでいる貴方も、ぜんぶ虚構なのかも、ね。

今度診察の時にでも、先生に言ってみようかな。
「私、実在しないかもしれないんです…」
確実に増えるね、薬。あはは。

合法覚醒剤…?

2002年8月4日
某氏のご好意により、某薬を送って頂いた。

ちなみに某氏とはネットを通じて知り合った友人で、某薬とは一部では「合法覚醒剤」の異名を取る有名な薬である。
流石に内容が内容なので、此処ではイニシャル含め公開せずに、両者ともあくまで「某」という事にしておく。これは私のような人間がこれ以上増えては様々な面からして不利益だろうという配慮によるものだが、ちょっと調べればすぐに判ってしまうだろう。知的好奇心を抑え切れない方は検索エンジン等で調べてみると良い。

昨晩帰って来た時点でその薬が届いている事は確認していたが、実際に初めて使用してみたのは今晩だ。

本当なら今日は家族と富良野に行く予定だった。
が、昨日まで3泊4日の大検受験旅行を兼ねた遊び旅行をしていた上、体調を崩し、鬱状態に入り、ろくに睡眠も摂っていなかったのでキャンセルして夜まで寝ていた。

で、起きて某氏と電話している時に初めて1錠、経口で試してみた。

正直言って、某氏も言っていた通り過剰に期待する程の効果は無かった。
「効いてる効いてる!」とはっきり実感出来る程では無かったし、効き始めと効き終わりがいつだったのかもいまいち判らない。

それでもやはり効果はあったようだ。
眠くならないのだ。連日の睡眠不足が重なっていたので、本当ならまたすぐにベッドに飛び込みたくなってもおかしくない状況なのに、飲んでから通算24時間位起きていたように思う。

そして、目前の事にひたすら集中出来る。
7/31の日記の前半は殆ど今日書いたものだが、導入部の恋愛の歴史に関する記述なんて本当は大まかに覚えていただけで、何冊も文献を引っ張り出して来て精度に狂いの無いよう努めて書いた。
普段ならここまで細かくやっているうちに嫌になってしまうところだ。
導入部以降もかなり息の荒い文章になっている感が否めない。恐らく思考の視界が狭くなっていたのであろう。

書いている途中で、どうも薬が切れてきたらしく眠くなって来た。
PCを立ち上げたまま眠る。起きて、逆算してみると36時間程寝ていた。


結論から言って、この薬はそんなに恐いものではないと思う。ただ、個人差はあるが眠れなくなるのは事実なので、切れた後に寝込んでしまう場合がある事だけが注意点といえば注意点かも知れない。

まぁ、睡眠薬の半中毒状態にある私がこんな事を言っても、説得力は大幅に欠けるだろうが…。

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