あたまのなかが言葉でいっぱい。
2002年9月19日ことばがたくさんうかんでくるなにからかいていいのかわからないぃー。
例えば、「感動」という概念に関して。
例えば、「美」という概念に関して。
起きたら6時だった。夕方の。
本当は今日も彼氏とデートの予定で、目覚ましもちゃんと掛けていて朝一旦それで起きて、昼間も一回彼氏からの電話で目覚めたのだけど、何せ昨日寝ていなかったしここ最近衰弱した身体と精神をフル稼働していたので、「ごめん、無理っぽい…」とか言ってまた寝てしまって起きたら6時。
嗚呼これでまた取り戻しつつあった規則正しい生活リズムが崩れてしまったわー、とか心中で嘆息しつつ、昨日購入した中村一義のニューアルバムを聴いて再び興奮を蘇らせているうちに、何故か久々に本格的なトランス状態に突入し掛けてしまって。
あー、やたらと言葉は浮かぶけどPC立ち上げたり筆記具出して来て書くのは面倒臭いなぁ、何もしたくないなぁ、やる気だけは異常にあるんだけどなぁ、このまま何もしないでベッドに寝転がっている方が気持ち良いだろうなぁ、と数時間ベッドでゴロゴロしたり、再び中村一義を聴いたりしてて。
で、一旦アルバム一枚終わって暫く無音の状態で寝転がっていたら、急に妙な事に気付いて。
…あー私今、思考が全て文章になってるんだ。
一般的に人間が何か考える時、その考えは考えというより寧ろ、漠然とした「想い」に近い筈だ。つまり、例を挙げると「焼肉を食べていて美味しいと思った」とすると、ただ漠然と「んー、ウマイッ!」と「感じる」だけなのが普通だ。
ところが今日の私の場合、
「ナカカズは人と人との繋がりを大事にしてる。初期の頃からそうだったよなぁ。そう、歌詞の如く『ワン・トゥ・ワン』『ソウル・トゥ・ソウル』、これが重要なんであって、出会いや人との関係って大切にすべきだよね。今迄私と出会った人達は何かしら私によって変わった筈であって、こう言葉にしてしまうと傲慢な気もするけど少なからず何かが変わった筈で。私、最近ネットを介して人と出会う場合が多いなぁ。一番身近に感じてしまうのはネットの世界なのかもなぁ。こういうの、何て言うんだろう「ネット中毒」「ネットジャンキー」「ネット依存」?いや違うなぁ、それはただネットの虜になっているというだけの意味だ。「ネットが一番リアルで身近に感じる」、この状態になっている人は私以外にも沢山居るだろう。こういうのを何て呼ぶんだろう?ネット…「ネット・リアル」?んー、何かしっくり来ないと云うか語呂が悪いと云うか、これじゃ訳が判らないな。そうだ、「ネット・ファースト」。これはどうだろう。直訳すると「ネット第一」。まあまあ語呂も良い気がする。あー、折角トランス入り掛けなんだから考えない方が気持ち良いのに、何かごちゃごちゃと考えちゃうなぁ。此処らへんで考えるの止めとこう。思考ストップ。脳味噌停止、停止…」
と、このように、全ての思考が文章で浮かんでしまうのだ。一字一句「この文字は漢字、これは平仮名、ここは句読点を入れる、ここには感嘆符」という風に、細部に渡ってくっきりと自分の思考=文章が見える。そう、目に浮かぶように文章化された思考が見えるのだ。しかも自分でストップを掛けないと、延々と文章で考え続けてしまう。
この状態は母が食事を運んで来る為に一時帰宅した際まで続いた。母と話していているうちに少し落ち着いたが、話題が「感動」や「美」という概念に及んだ際にも、目に浮かんだ文章化された思考を延々と口に出して話していた。
…今日は文体の統一が取れていませんネー、はい。
ごめんなさいこうやって文章をまとめるのと平行して、「文章化された思考」が勝手にズラズラと浮かんで来るものですから。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、という感じです、今。
それにしても食後の話題が「『感動』や『美』といった概念に関して」という私達母子ってかなり謎かも、と今書いていてつくづく思いました。母も本好きで、絵を描くのが好きで、音楽・映画好きなので、私達が日常的に抽象的な概念や社会情勢といった所謂「固い話」を当たり前のようにしているのは、それもまた一因かと。
そういえば母と私の本日の会話の中にこんなものが。
「ナカカズはさぁ、言われなかったらあんな大変な家庭環境で育ったなんて判んないじゃん?あんな前向きな詞書いたりする人がさ。あれは葛藤の時期もきっとあった筈だと思うんだよね」
「でもそれを乗り越えてショウカしたんだね、きっと」
「そそ。私も今言おうと思ってた。ショウカしたんだよ、きっと。…ってお母さんが今言ったのってどっちのショウカ?」
「どっちのって、階段の昇降とかのショウに…」
「あー、昇るに華の昇華ね」
「そうそう」
「それもそうだけど、両方じゃないかな。まず消化器系の方の『消化』して、それから昇るに華の方の『昇華』したんじゃないかな」
「あー、消化して(母、腹に手を向ける)、昇華した(その手を上方に向ける)のね」
…話し言葉ってたまに不便に感じません?
文章を書きたい欲求がムクムクと湧き上がって来ているので、今日はこの辺で止めて、滞納していた13日分と18日分をササッと書いたら、Wordを立ち上げて小説の続きか何か別の文章を書くとしよう。
それにしても、最近の日記に母との会話がよく登場するのは、私にとって重要な事の多くを母に話しているという事だろうか。そうかも知れない。私は思った事のうちで書かなかった事の多くを、母に話して書く事に代替しているような気がする。何せ反抗期も無かった仲の良い母子で、性格や考え方、趣味等も似かよった部分が多いので判って貰いやすいのだ。
関係無いが、今日母が見せてくれた武者小路実篤の「私はかきたい。」という書き出しで始まる詩はなかなか気に入った。
ところで昨日何故か急に携帯のメル友が欲しくなって、所謂「メル友募集掲示板」のような所に久しぶりに行ってみた。書き込みもしてみた。
ところが、「十代後半」「女」とかなんとか表示されるので普通ならジャカジャカメールが来てもおかしくなさそうなものなのに、メール、全く来ません。
タグが使えたらこんな風にしたい気持ちで一杯なのですが、
<FONT SIZE=5 COLOR=red>全く来ません。</FONT>
題名【メールー。ルル★(謎】
本文【あたまのなかにやたらと言葉が浮かぶ1984・1・24日生なのです。居住地域は北緯43°東経142°辺り。中村一義、ビョーク、Aphex Twin、RADIOHEAD、PlasticTree、ドビュッシー、サティ、テクノ系統etc.の音楽が好き。映画は岩井俊二監督作品が大好き。趣味は読書、ネット、文章書き、デジカメ写真撮影&加工etc. 作家目指しているのです。彼氏有なのでナンパメールは貰っても困惑するだけなのです(ワライ)。性別年齢地域不問で受付中ー】
…こんなんじゃ、来なくて当たり前ですね。あはは。ワラエネー。
例えば、「感動」という概念に関して。
例えば、「美」という概念に関して。
起きたら6時だった。夕方の。
本当は今日も彼氏とデートの予定で、目覚ましもちゃんと掛けていて朝一旦それで起きて、昼間も一回彼氏からの電話で目覚めたのだけど、何せ昨日寝ていなかったしここ最近衰弱した身体と精神をフル稼働していたので、「ごめん、無理っぽい…」とか言ってまた寝てしまって起きたら6時。
嗚呼これでまた取り戻しつつあった規則正しい生活リズムが崩れてしまったわー、とか心中で嘆息しつつ、昨日購入した中村一義のニューアルバムを聴いて再び興奮を蘇らせているうちに、何故か久々に本格的なトランス状態に突入し掛けてしまって。
あー、やたらと言葉は浮かぶけどPC立ち上げたり筆記具出して来て書くのは面倒臭いなぁ、何もしたくないなぁ、やる気だけは異常にあるんだけどなぁ、このまま何もしないでベッドに寝転がっている方が気持ち良いだろうなぁ、と数時間ベッドでゴロゴロしたり、再び中村一義を聴いたりしてて。
で、一旦アルバム一枚終わって暫く無音の状態で寝転がっていたら、急に妙な事に気付いて。
…あー私今、思考が全て文章になってるんだ。
一般的に人間が何か考える時、その考えは考えというより寧ろ、漠然とした「想い」に近い筈だ。つまり、例を挙げると「焼肉を食べていて美味しいと思った」とすると、ただ漠然と「んー、ウマイッ!」と「感じる」だけなのが普通だ。
ところが今日の私の場合、
「ナカカズは人と人との繋がりを大事にしてる。初期の頃からそうだったよなぁ。そう、歌詞の如く『ワン・トゥ・ワン』『ソウル・トゥ・ソウル』、これが重要なんであって、出会いや人との関係って大切にすべきだよね。今迄私と出会った人達は何かしら私によって変わった筈であって、こう言葉にしてしまうと傲慢な気もするけど少なからず何かが変わった筈で。私、最近ネットを介して人と出会う場合が多いなぁ。一番身近に感じてしまうのはネットの世界なのかもなぁ。こういうの、何て言うんだろう「ネット中毒」「ネットジャンキー」「ネット依存」?いや違うなぁ、それはただネットの虜になっているというだけの意味だ。「ネットが一番リアルで身近に感じる」、この状態になっている人は私以外にも沢山居るだろう。こういうのを何て呼ぶんだろう?ネット…「ネット・リアル」?んー、何かしっくり来ないと云うか語呂が悪いと云うか、これじゃ訳が判らないな。そうだ、「ネット・ファースト」。これはどうだろう。直訳すると「ネット第一」。まあまあ語呂も良い気がする。あー、折角トランス入り掛けなんだから考えない方が気持ち良いのに、何かごちゃごちゃと考えちゃうなぁ。此処らへんで考えるの止めとこう。思考ストップ。脳味噌停止、停止…」
と、このように、全ての思考が文章で浮かんでしまうのだ。一字一句「この文字は漢字、これは平仮名、ここは句読点を入れる、ここには感嘆符」という風に、細部に渡ってくっきりと自分の思考=文章が見える。そう、目に浮かぶように文章化された思考が見えるのだ。しかも自分でストップを掛けないと、延々と文章で考え続けてしまう。
この状態は母が食事を運んで来る為に一時帰宅した際まで続いた。母と話していているうちに少し落ち着いたが、話題が「感動」や「美」という概念に及んだ際にも、目に浮かんだ文章化された思考を延々と口に出して話していた。
…今日は文体の統一が取れていませんネー、はい。
ごめんなさいこうやって文章をまとめるのと平行して、「文章化された思考」が勝手にズラズラと浮かんで来るものですから。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、という感じです、今。
それにしても食後の話題が「『感動』や『美』といった概念に関して」という私達母子ってかなり謎かも、と今書いていてつくづく思いました。母も本好きで、絵を描くのが好きで、音楽・映画好きなので、私達が日常的に抽象的な概念や社会情勢といった所謂「固い話」を当たり前のようにしているのは、それもまた一因かと。
そういえば母と私の本日の会話の中にこんなものが。
「ナカカズはさぁ、言われなかったらあんな大変な家庭環境で育ったなんて判んないじゃん?あんな前向きな詞書いたりする人がさ。あれは葛藤の時期もきっとあった筈だと思うんだよね」
「でもそれを乗り越えてショウカしたんだね、きっと」
「そそ。私も今言おうと思ってた。ショウカしたんだよ、きっと。…ってお母さんが今言ったのってどっちのショウカ?」
「どっちのって、階段の昇降とかのショウに…」
「あー、昇るに華の昇華ね」
「そうそう」
「それもそうだけど、両方じゃないかな。まず消化器系の方の『消化』して、それから昇るに華の方の『昇華』したんじゃないかな」
「あー、消化して(母、腹に手を向ける)、昇華した(その手を上方に向ける)のね」
…話し言葉ってたまに不便に感じません?
文章を書きたい欲求がムクムクと湧き上がって来ているので、今日はこの辺で止めて、滞納していた13日分と18日分をササッと書いたら、Wordを立ち上げて小説の続きか何か別の文章を書くとしよう。
それにしても、最近の日記に母との会話がよく登場するのは、私にとって重要な事の多くを母に話しているという事だろうか。そうかも知れない。私は思った事のうちで書かなかった事の多くを、母に話して書く事に代替しているような気がする。何せ反抗期も無かった仲の良い母子で、性格や考え方、趣味等も似かよった部分が多いので判って貰いやすいのだ。
関係無いが、今日母が見せてくれた武者小路実篤の「私はかきたい。」という書き出しで始まる詩はなかなか気に入った。
ところで昨日何故か急に携帯のメル友が欲しくなって、所謂「メル友募集掲示板」のような所に久しぶりに行ってみた。書き込みもしてみた。
ところが、「十代後半」「女」とかなんとか表示されるので普通ならジャカジャカメールが来てもおかしくなさそうなものなのに、メール、全く来ません。
タグが使えたらこんな風にしたい気持ちで一杯なのですが、
<FONT SIZE=5 COLOR=red>全く来ません。</FONT>
題名【メールー。ルル★(謎】
本文【あたまのなかにやたらと言葉が浮かぶ1984・1・24日生なのです。居住地域は北緯43°東経142°辺り。中村一義、ビョーク、Aphex Twin、RADIOHEAD、PlasticTree、ドビュッシー、サティ、テクノ系統etc.の音楽が好き。映画は岩井俊二監督作品が大好き。趣味は読書、ネット、文章書き、デジカメ写真撮影&加工etc. 作家目指しているのです。彼氏有なのでナンパメールは貰っても困惑するだけなのです(ワライ)。性別年齢地域不問で受付中ー】
…こんなんじゃ、来なくて当たり前ですね。あはは。ワラエネー。
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