いくらネットジャンキー、PCマニアといえども、一日中PCに向かって何らかの作業を続けるのはキツい。

私の彼氏はネットショップオーナーを生業としている。半ば趣味でやっているむきもあるようだが、やはり仕事が辛くなったり、疲労困憊してPCを立ち上げるのも嫌になってしまう時があるそうだ。

今日はその気持ちがほんの少し判った気がした。

というのも、今日はほぼ朝から晩までCD-Rへのデータ書き込み作業を行っていたのだ。
枚数にして10枚程は焼いただろうか。ちなみに「焼いた」というのはCD-Rにデータ書き込みを行う作業をしたという事だ。俗語では、CD-Rにデータを書き込む事を「Rに焼く」とか、単に「焼く」とか表現されたりしている。

で、何故そんなに大量のRを焼いていたかというと、ネットを通じて知り合った友人に送る為だ。この友人とは、ぶっちゃけて書いてしまうとこの日記と相互リンクしてくれているBacchusなのだが、彼には以前数枚のCD-R等を送って貰った経移もあり、また彼が私の好きなアーティストのCDを聞いてみたいと言って来たり、私の出した本のバックアップデータや未発表原稿等にも興味を示してくれた様子だったので、以前からRに焼いて送る約束をしていたのだ。

ところが色々なやるべき事が重なったり、風邪で体調を崩したり、抑鬱状態に入ったり無気力症状が表れたりと、物理的にも精神的にもなかなか余裕が出来ず、約束をしてから既に何週間か経過していたのに全くR作りの作業が進んでいなかったのだ。

これはいけないと思い、R焼きに取り掛かった訳だが、私は完璧にやると決めたらとことん完璧にやらないと気が済まない性分である。父親と共有しているPCに入っている未発表原稿をフロッピーディスクに移し、それを送るべきものと送るべきでないものとに振り分ける作業から始める。父親に見られたくない文書には読み込みパスワード設定をしていたので、それを解除する作業も必要だった。
文書ファイル以外にも便利なツールをコピーして焼いたりしたので、きちんと動作するかどうか確認したりする作業も必要となった。
また、音楽CDに関して言えば、所有している音楽CDのみならず、データとしてハードディスクや手持ちのCD-Rに保存していたものを、曲順にも気を配りつつ焼いたりしていたものだから更に時間が掛かる。
また、収録曲目リストや歌詞掲載サイトのURLを載せたテキストファイルを作成し、それに加えて所有している音楽CDのCD-EXTRA等も焼いたものだから、焼く手間より編集する手間の方が掛かったと言っても過言ではない。

Rを焼いている最中に、むやみに他のアプリケーションを立ち上げたり、容量の大きなウェブサイトを閲覧していたりするとメモリ不足となり、書き込みに失敗してしまう場合がある。なので書き込み中は大きな作業は出来ない。従って今日は写真加工も全く出来なかったし、ネットも、メールや容量の小さなウェブサイト閲覧、少しばかりの掲示板書き込み程度しか出来なかった。


しかし私は、なにも愚痴をこぼしたい訳でも、ましてやBacchusに文句をたれようとしている訳では決してない。上記の記述はあくまで「日記」としての文章であり、単なる日常の記録である。

むしろ、彼が私の書いた文章や私の好きなアーティストに興味を示してくれた事に関して、大変嬉しく思っているのだ。だからこそつい力を注いでしまい、手間を掛けてでもなるべく完璧な状態で届けようと考えたのである。

確かに、正直に書いてしまえば疲れた。それでも彼には物品を送って貰った恩だけでなく、なかなか実生活の友達とは出来ないような哲学的な話題で盛り上がったり出来るという「精神的な『物』」を沢山貰ったという恩もあるので、このまま懇意にしていきたいと考えている。だからR焼きやデータ整理の疲れを差し引いても、迷惑だなんて微塵も思っていない。むしろ約束をしてからかなり時間が経ってしまっているのに発送の準備が遅れた事を、この場を借りて謝りたい気持ちで一杯だ。


Bacchusに送る分だけでなく、まだR焼きの作業は残っている。昨日図書館から借りて来た音楽CDや、同じく図書館から借りて来たアドビ公式トレーニングブックに付属していたレッスン用CD-ROMを焼かなくてはならない。更に、母に音楽CDのコピーを頼まれているので、それも焼かなくてはならない。

あまりにRばかり焼いていたせいか、MSNメッセンジャーの調子がおかしくなってしまった。再インストールも考えている。


こうして膨大なデータはコピーされ、世間一般に流布してゆく。デジタル時代の到来を象徴するかのようだ。
現代の科学をもってすれば、倫理的な問題を抜きにして考えればクローン技術で人間すら複製する事が可能だ。私という人間だって、コピーする事が可能なのだ。そしてこの日記を読んでいるあなただって、もはやコピー可能な存在なのである。

かくして生物学者の唱える「人間=機械」論は再武装して立ち上がる。
人間はよくできた機械に過ぎないのか、それともキリスト教的思想に見られるように「地球上で最も尊く、代替不可能な唯一無二の存在」なのか。

その答えは私が出すべきものではないし、私の中には無い。個人の判断の中にのみ、存在するのだ。私はまだ、そういった観点から見た「人間とはどういった存在であるか」という問いに答え得るだけの考えが己の中でまとまっていない。どちらかというと「人間=機械」論に傾きがちではあるが、何せまだ年端もゆかぬ子供の考える事だ。今後、更なる人生経験を積んだり、今まで知り得なかった知識や思想を手にしたりした時、この問いに関して、また違った側面から見る事が出来るようになるかも知れない。

しかし、この問いに対する明確な答えなんて、一生掛けたって誰にも出せないような気もする。ましてや私が偉そうに「人間とは…」と語るのは、それこそおこがましい行為だろう。

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