「書くこと」とは
2002年8月19日不定期的に、無気力状態に襲われる。
それはいつやって来るのか、どうすればそこから抜け出せるのか。その方法を知っていたら斯様に悶々とした日々を送る事もあるまい。
ここ最近の日記の更新が滞っていたのは一連の無気力状態によるところが大きい。新規HPスタートに向けての写真加工や、ウェブデザインの勉強に力を注ぎがちだったという理由もあるのだが。
それにしても本来私の趣味と言える読書や、音楽・映画・映像作品鑑賞、作詞作曲、はたまたこれほどまでにネットジャンキーである私にも関わらず、ネットに繋ぐ事ですら億劫になってしまっていた。
で、何をしていたのかというと、主に寝ていた。眠って、嫌な夢を沢山見て、後味の悪い気分のままぼーっとしていたり、なかなかやる気は起きないのだが、半ば己に義務付ける形で写真加工に励んでいたりした。写真加工をするとなるとPCを起動しなければならない訳だから、惰性で少しネットしてしまったりしていた。惰性でネットしていた時も裏日記(HPマークから飛べる)に書き込みやレスをしたり、HPのBBSや「実況中継」というコンテンツの更新をしたりはしていた。こんな稚拙で大して面白くもない日記でも興味を持って下さった方は、そちらを見ると私の惰性ネット記録が残っているので、お暇ならそれらを覗いてみるのも良いかも知れない。
毎日書く事を己に義務付けようとして始めたこの日記や、HPの日記(現在は閲覧可能だが休止中)。しかし私の場合、物心ついた時からモノを書く事自体は好きなのだが、書けない時というのはどうしてもある。
なので、今後は無理せず、書ける日だけ書く事にした。そうでもしないと精神的にも時間的にも負荷が掛かって、この日記も続かなくなってしまうだろう。
今日は軽く睡眠薬を飲んで少し理性を飛ばしているので、文章もわりかしすんなりと出て来る。ここ数日間滞納していた分の日記も、今日の分を書き終えたらおいおいアップしていく予定だ。
私にとって「書ける時」「書けない時」の差異とは何であろうか。
まず、「始めの一文」が出て来ないと駄目なのだ。
出て来るというより、「降りて来る」と表現した方が適切であろうか。
漫画『魔方陣グルグル』の作者である衛藤ヒロユキ氏も、漫画のプロットが固まるまでひたすらゴロゴロしたりボーッとしているのだそうだ。氏はそれを「天使待ち」と呼んでいた。私の文章を書く意欲が高まるまでの期間も、この「天使待ち」に非常によく似ている。
始めの一文、書き出しさえ出て来れば後は概ねスラスラと書ける場合が多い。あとは、その時の私に書くべき事、表現したい・伝えたい事があるかどうかだ。
この2点をクリアすれば、余程凝った文章や力を入れた小説等でない限り、書いて、それなりに完結させる事が出来る。
これは私独自の文章作法だろうか。それとも大抵の「モノ書き好き」を自称する方々に当て嵌まる手法なのだろうか。
此処を御覧の皆さんの文章作法を、是非とも参考にさせて頂きたいところだ。
ところで話は飛ぶが、私はネット上で頻繁に男と間違えられる。
どうやら文体が男性的なのが原因のようだ。
主に男性作家の作品を読む事が多いので、知らず知らずのうちに影響されてしまったのだろうか。
掲示板の書き込みやチャット、メッセンジャーでもあまり女々しい言葉を使わないのも一因と考えられる。
現在はcocoというHNを使っているので頻度は減ったが、以前一時的に性別の判別がつきかねるHNを使用していた時は、男だと間違えられる事の方が多かった。
そもそも、いくら遠い夢は文筆業といえども、こういった文章をこういった文体で、18歳の女が書いている方がかなり奇特だと思う。話し言葉や掲示板への書き込み、チャット、メッセンジャーではもっとくだけた感じで顔文字も多用しているのだが、「ある程度まとまった文章を書く」という行為に至ろうとすると、どうしても脱力する事が出来ないのだ。
たまに少し文体を変えて遊んでみたりはするが。
飽和状態の現代日本文芸界に於いて、読者を惹きつける文芸作品を書くとなると、今までプロの作家諸氏が書かなかった世界観・文体・ストーリー・主題で挑まなくてはならない。
こう言うとおこがましいのだが、私がそういった「新しい文学」の創始者となる為には、今まで書き尽くされたものの隙間を見付けてそこに潜り込むか、既存の文学を一旦全部ぶち壊して、そこから全く新しいものを構築していくしかない。
どちらの選択肢を取るかは、私にもまだ判らない。
しかし、来たるべき「天使降臨」の時、自ずから何かを掴む事は出来るだろう。
数ヶ月後、数年後、数十年後の話になってしまうかも知れないが。
それはいつやって来るのか、どうすればそこから抜け出せるのか。その方法を知っていたら斯様に悶々とした日々を送る事もあるまい。
ここ最近の日記の更新が滞っていたのは一連の無気力状態によるところが大きい。新規HPスタートに向けての写真加工や、ウェブデザインの勉強に力を注ぎがちだったという理由もあるのだが。
それにしても本来私の趣味と言える読書や、音楽・映画・映像作品鑑賞、作詞作曲、はたまたこれほどまでにネットジャンキーである私にも関わらず、ネットに繋ぐ事ですら億劫になってしまっていた。
で、何をしていたのかというと、主に寝ていた。眠って、嫌な夢を沢山見て、後味の悪い気分のままぼーっとしていたり、なかなかやる気は起きないのだが、半ば己に義務付ける形で写真加工に励んでいたりした。写真加工をするとなるとPCを起動しなければならない訳だから、惰性で少しネットしてしまったりしていた。惰性でネットしていた時も裏日記(HPマークから飛べる)に書き込みやレスをしたり、HPのBBSや「実況中継」というコンテンツの更新をしたりはしていた。こんな稚拙で大して面白くもない日記でも興味を持って下さった方は、そちらを見ると私の惰性ネット記録が残っているので、お暇ならそれらを覗いてみるのも良いかも知れない。
毎日書く事を己に義務付けようとして始めたこの日記や、HPの日記(現在は閲覧可能だが休止中)。しかし私の場合、物心ついた時からモノを書く事自体は好きなのだが、書けない時というのはどうしてもある。
なので、今後は無理せず、書ける日だけ書く事にした。そうでもしないと精神的にも時間的にも負荷が掛かって、この日記も続かなくなってしまうだろう。
今日は軽く睡眠薬を飲んで少し理性を飛ばしているので、文章もわりかしすんなりと出て来る。ここ数日間滞納していた分の日記も、今日の分を書き終えたらおいおいアップしていく予定だ。
私にとって「書ける時」「書けない時」の差異とは何であろうか。
まず、「始めの一文」が出て来ないと駄目なのだ。
出て来るというより、「降りて来る」と表現した方が適切であろうか。
漫画『魔方陣グルグル』の作者である衛藤ヒロユキ氏も、漫画のプロットが固まるまでひたすらゴロゴロしたりボーッとしているのだそうだ。氏はそれを「天使待ち」と呼んでいた。私の文章を書く意欲が高まるまでの期間も、この「天使待ち」に非常によく似ている。
始めの一文、書き出しさえ出て来れば後は概ねスラスラと書ける場合が多い。あとは、その時の私に書くべき事、表現したい・伝えたい事があるかどうかだ。
この2点をクリアすれば、余程凝った文章や力を入れた小説等でない限り、書いて、それなりに完結させる事が出来る。
これは私独自の文章作法だろうか。それとも大抵の「モノ書き好き」を自称する方々に当て嵌まる手法なのだろうか。
此処を御覧の皆さんの文章作法を、是非とも参考にさせて頂きたいところだ。
ところで話は飛ぶが、私はネット上で頻繁に男と間違えられる。
どうやら文体が男性的なのが原因のようだ。
主に男性作家の作品を読む事が多いので、知らず知らずのうちに影響されてしまったのだろうか。
掲示板の書き込みやチャット、メッセンジャーでもあまり女々しい言葉を使わないのも一因と考えられる。
現在はcocoというHNを使っているので頻度は減ったが、以前一時的に性別の判別がつきかねるHNを使用していた時は、男だと間違えられる事の方が多かった。
そもそも、いくら遠い夢は文筆業といえども、こういった文章をこういった文体で、18歳の女が書いている方がかなり奇特だと思う。話し言葉や掲示板への書き込み、チャット、メッセンジャーではもっとくだけた感じで顔文字も多用しているのだが、「ある程度まとまった文章を書く」という行為に至ろうとすると、どうしても脱力する事が出来ないのだ。
たまに少し文体を変えて遊んでみたりはするが。
飽和状態の現代日本文芸界に於いて、読者を惹きつける文芸作品を書くとなると、今までプロの作家諸氏が書かなかった世界観・文体・ストーリー・主題で挑まなくてはならない。
こう言うとおこがましいのだが、私がそういった「新しい文学」の創始者となる為には、今まで書き尽くされたものの隙間を見付けてそこに潜り込むか、既存の文学を一旦全部ぶち壊して、そこから全く新しいものを構築していくしかない。
どちらの選択肢を取るかは、私にもまだ判らない。
しかし、来たるべき「天使降臨」の時、自ずから何かを掴む事は出来るだろう。
数ヶ月後、数年後、数十年後の話になってしまうかも知れないが。
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